野口雅弘「官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)」

おもしろかった。

通りいっぺんの官僚批判で終わる本でも、逆にただの擁護でも終わる本ではない。マックス・ウェーバーら過去の人々の英知をひもときつつ、官僚制の両面を見つめながら、官僚制というものの価値と、民主主義社会を維持していくことの難しさを考えさせてくれる。

身近に官僚として仕事をしてきた人と接することになり、官僚とはなんだろうとか、その組織の論理とか、どういうところが問題とされるのかとか、そういうことに興味が出てきている。この本もその文脈で読んだものだが、最初に読んだのは運命だったのではと思わせるほど、官僚制とそれに対する批判・問題点について整理されていてとても満足した。

勉強のために、少し内容についてまとめてみる。
官僚制は、その言葉ができたくらいから、既に否定的・批判的に見られていた。しかし、形式主義と言われる官僚制には、その中立性から、民主主義の平等な部分とか、自由な部分を支える機能がある。にもかかわらず、民主主義につきものの構成員が集まって議論をすることなどの面倒さや、既得権を生み出すものへの嫌悪感から、現代では「小さな政府」への志向がどうしても強くなり、官僚制への風当たりも強い。これがまさに「政治主導」と言われるような流れである。その流れで、官僚制とか大きな政府に変わるものとして、カリスマが待望される。しかし不透明な現代においては官僚制のあり方もずいぶん変わってきており、カリスマが一人ですべてを判断し決定することが不可能なことを考えれば、安易に官僚制批判・カリスマ待望の方向に流れるのは危険である。

「正当性」を巡る議論は少々難しかったが、公平に公僕として国民や支配者に仕えることを任務とする官僚について考える際に、このキーワードが重要であることはとてもよくわかった。そうした「公僕」としての官僚の正当性を疑おうとする気持ちが高まっている現代の状況で、官僚とはいかにあるべきなのか、単純に批判や擁護ではすまない、民主主義の根本と切っても切り離せない役割が彼らにはあるのである。

こうした、「小さな政府」と「カリスマ」を待望し官僚を安易に批判してしまう状況に対する著者の処方箋というか結論は、「ジレンマや面倒さを避けるな」、ということに尽きる。ウェーバー自体が、そうした社会のジレンマを見つめ続け、提言し続けてきたことが語られるとともに、安易な方向づけを求めない強靭さこそが、社会を良くするのに必要だと言いたいような著者の意見は、社会の面倒さから目を背けていないという意味で、とても賛成できる。利害が絡み、全体の利益を見づらくなっている今の状況で社会を少しずつよくするには、粘り強くジレンマを見つめて話し合っていくことしかないのだろう。

著者の公平かつ歴史的なことを踏まえた議論が展開されるこの本は、どんな立場の人が読んでも、社会を良くするにはどうしたらよいかを考えさせられることと思う。特に公務員の方、社会全体の福祉に関わる人などは、膝を打つこと、しばしば考え込むこと間違いない。