浦久俊彦「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)」

タイトルがもっと直球だったら目に留まる人も多いのでは、少しタイトルで損をしているな、というなかなか面白い一冊。
何年か前にブタペストを訪れたことがある。そこにフランツ・リストが弟子をたくさん育てた「リスト音楽院」があり、非常にその展示と、リストという人物自体に興味をひかれた。ぼくは旅行するとき、したあとに、ひとしきり見るものや見たものについて勉強したくなる性質があるのだが、驚いたことに、著者も書いているとおり、有名な人であるにもかかわらず、リストに関する本は本当に少ないのだ。著者はそれは、ポーランドの国民的音楽家であるショパンと、本拠地をあちこちと変えて仕事をした、ハンガリー生まれのドイツ人であるリストの違いによるのではとしているが、一理ある気がする。この本は、リストとは一体何ものだったのか、という個人的興味に、とてもよく答えてくれて、ますます彼について知りたくさせてくれた。著者に心から感謝したい。
天才でありながら夭折もせず、晩年に有名な曲があったわけでもない。若き日の恋愛談、派手なヨーロッパツアーなどもこの本では触れられるが、ピアニストは30代で引退しており、その後は教育活動がメインであったことはあまり知らなかった。個人的に抱いていたトータルのイメージよりずっと、リストの人生の後半は地味であった。しかし逆にそこにぐっとくるものがある。地味かつ精力的な活動が、音楽を目指す多くの若者を生み出した。もう、自身の万能など信じないぼくは、むしろそこにこそ惹かれる。最後の最後まで、命尽きることなど考えずにレッスンに精を出していたリスト。演奏活動で得たお金を慈善活動に使い続けた彼の、『天才は、社会に奉仕しなければならない(p190)』と述べた人生のスタイルは、もっと知られてもいいはずだ。
本文最後の彼の言葉がしびれるので、書き留めておきたい。未来は、現在よりよい姿であるべきだ。それを心から信じ、自身の才能をとことん使い尽くしたリストが、とても好きになった。

私の音楽上の望みは、私の槍を未来という漠然とした空に飛ばすことでしたし、これからもそうするつもりです。この槍がすぐれたもので、地面に落ちてさえこなければ、ほかのことはどうでもいいのです(p198)