鈴木宗男・魚住昭・佐藤優「鈴木宗男が考える日本 (洋泉社新書y)」

「戦後保守政治家の末裔」という呼び方が大げさながらも的確な政治家、鈴木宗男。一度は政治の世界から葬り去られたと思われた彼がなぜ、今また活躍しているのか。彼を良く知る二人が、彼のスタイル・政治信条とともにその秘密を語る。
消費税増税で国会が揉めている現在も、北方領土を訪問したりと忙しい鈴木宗男氏。読んでいて一番思ったのが、彼が実に「他人のために勉強する」「汗をかく」政治家だということだ。
政治家の勉強会などはあるだろうし、政治家たるものみんなそれなりの知識を持つ頭のいい人ばかりだろうと思う。しかし、それがなぜ実践になかなか結びつかないのか。その説明の一つとして、偉そうに語るのもなんだが思いつくのが、「箔を付けるため」や「自分の考えを固めて納得するため」ではなく、「他人のために勉強する」という視点がないのではということだ。
勉強すると仕事が楽にできる、と思う人もいるかもしれないが、あるところまでいくと、勉強すればするほどやるべきことが増えてくる。他人を救うために勉強したことが必要になってくると、勉強し損のような状況になってくることがある。これは誰もが納得できるわけではないとは思うが…確かにそうなのである。勉強すればするほど、同時に汗をかく必要が生じてくる。そんなこと知らなくても人は動かせる、お金がまわる…ような状況になると、人は勉強することが面倒になってくる。
しかしどうやら鈴木宗男氏は違うようだ。エリートではないということも頭にあるのかもしれないが、ここまでになっても、面倒に巻き込まれるようなことを勉強する。たぶんそのせいで外務省のエリートたちから嫌われたところはあるのだろうが、そこまでやってはじめて「政治主導」と言える。官僚を動かすためには相当勉強せねばならない。そして汗をかいてそれを役に立てていく。この本で彼の信条が、新自由主義に異議を唱える一方で、きちんと働かないのは許されない、という厳しいことを考えていることは、そうした、誰よりも勉強して汗をかく彼のスタンスとまさに一致している。下のようなことを正面から言える政治家を、ただ古いと言って切り捨てていいものだろうか。

お金を分かち与える政治家が少なくなったと思います。分かち与えるというのは、心なんですね。私は、自分よりも当選回数の少ない政治家で、政治資金に困っている人がいれば、身銭を切って応援したものですよ。これは当然のことで、政治家として、先輩としての役割だと思っています。同時に自分のポリシーを引き継がせるなり、イズムを伝えるなり、若手を育てていくのが政治家の責任だと思っていました。
…私は蓄財もしないし、借金もしません。与えられた環境のなかで余裕が出た分は若い議員を育てるために使う。それが国のためになる。政治の発展になると言ってきたものです。(p76-77)

若い人ほど、こんなことはできないだろう。どんなに古いと言われても、日本の保守政治家を生み出してきた帝王学は、やはりそれなりの価値があったのではないかと思わされる。