湯川豊「須賀敦子を読む (新潮文庫)」

担当編集者が語る須賀敦子。彼女の回想風のエッセイはどれも、その美しい文章とはっとさせられる人間ドラマで何度読み返しても飽きない。
須賀敦子が多くの人に読まれる文章を書き始めたのは、彼女が50代半ばになってからである。自分で文章を書きたいと願い、その気持ちをずっと熟成させてきたものを、編集者である著者との協力により本の形にしていったものが、今私たちの目に触れている。担当編集者であった著者が、本ができるまでの舞台裏を書く気はないと述べているとおり、この本では、あくまで須賀敦子の本を読みそこから読み取れることを語っていく。元の本を読まなくてもいいや、という気分にさせるのではなく、実際に読んでみたい、と思わせるところはさすがに配慮が効いているし、安心して読める。
家族のことを、生々しくなりすぎずにいい距離感で書くスタンスとは、自分についてどう語っていくか…フィクションではないが小説的部分のあるエッセイは、その語り口のうまさとあいまって、多くの人々を惹きつけてやまない。この本では、自分で文章を書く際にも参考になる、彼女の魅力的な文章の書き方のスタンスが語られるとともに、書き始めてからわずか10年あまりの執筆期間に、その書き方や目指す方向が少しずつ変わっていたことが明らかにされる。

書きたいと思う気持ちをしっかり、自分で受け止めて大事にすること。そして、それを実行に移すために、どういうものを書きたいか、自分の気持ちをどう表現していくか、などのステップを一つずつ踏んでいくこと。書き始めてなお、自分の理想に向けて一作ずつスタイルを模索していったその姿は、本が書きたい人にとって、書ける、読まれる、状態となって終わりではないのだということを痛烈に感じさせられる。それはまるで、プロスポーツ選手がプロ契約をするところがゴールではないように。