落合博満「采配」

タイトルかっこいい。のみならず、内容も濃い。

前著「コーチング―言葉と信念の魔術」は、身近な後輩・部下に対してどのように接し、成長を促していけばいいかという視点で書かれていた。この「采配」は、まさに著者の立場が先輩から監督に変わるがごとく、次の世代の若者へのメッセージという形が濃くなっている。プロフェッショナルな仕事をして生きていくための力をつけるにはどうすればいいか、といった、より長期的なスパンでの仕事の捉え方は、どのような仕事をしている人にも参考になるだろう。

少し前に読んだ中谷彰宏と、仕事に対する取り組み方に共通点がある。
簡単にいえばこういうことだ。つまり、自分の不遇さを人や環境のせいにするまえに、自分の仕事の質を徹底的に高め、少しでも人にわかるような成果を出せるように成長していけ。そのうち、ほんとうに自分が不遇なのか、まだまだなのかが見えてくる。
人材の流動化が進み、転職が一般的になった現在、誰もに認められる仕事の達人たちは、簡単には動かないのかもしれない。逆に自分をじっくり見つめて、その売り方を考え、実力を徐々につけていく。そして、レギュラーを取れる、大きな仕事をつかめるかも、などという、ここぞ、というときに結果を残せるようにするのだ。

落合さんに特徴的なのは、若者に対するとても暖かい目だ。
この人の言動にはブレがないように思う。選手時代に年棒の調停やら、フリーエージェントやらで、お金を第一にして動くような行動をとったのは、ひとえに個人事業者としての選手の立場をきっちり確立させるためだったのではないか。一方で、『どんな仕事でも、目立つ成果を求めるのなら、それに見合ったバックアップが必要だ。(p228)』と述べている落合さんは、監督としても、選手へのバックアップに心を砕く。次世代がより伸び伸びと仕事をできるために、自分より下の年代にとって良い状況を作り出すために、実力のある人・できる人はプレイヤーとしても上司としても、道を切り開いていかねばならない。

そういう目で後輩・次世代の若者を見ている著者だからこそ、自分で食っていけるようになることの大変さ、その貴重さをどうしても知ってもらいたいという気持ちが強いのだろう。そうした心持ちは、特に以下の言葉に現れている。

「不安もなく生きていたり、絶対的な自信を持っている人間などいない」(p32)

先輩や上司に叱られ、なだめられ、チャンスを与えられを繰り返しながら、30歳になる頃までに一人前になれれば十分ではないか。(p60)

すぐにはできなくても、周囲より早く出世しなくてもいい。それは妥協ではなく、息の長い、いい活躍ができる選手になるための準備だ。バックアップをしっかりするから、引退のときなどを自分で決められるような、どこにいってもやれるような一人前の選手になってほしいとの願いがここにはこもっている。

そういう気持ちと表裏一体のものとして、レギュラーの選手には簡単には痛いとは言わせない、甘えを断ち切って控えの選手に背中で実力を見せてもらう、という厳しいと思われる面がある。競争社会で自分のやりたいことをして生きることと、その反面についてくる「実力がなければ降りなければならない」という責任。理屈も通っていて当たり前と思われるこのことを、日本という社会ではっきりとさせるのは、それだけで周囲との軋轢を招くだろう。悲しいが、大学にいるものとして、このことをきちんと理解してもらう、理解してもらえるような状況を作っていくのはすごく難しいなという思いがある。プロ野球という世界ですら、トップレベルのプレイヤーが監督を一つのチームで8年やって、ようやくそこにいる選手に浸透するレベルのことだ。しかし、そこにいる選手にしっかり知ってもらうこと、次世代にその気持ちをつなげてもらうことが、なによりのはじまりなのかもしれない。

最終的にこのタイトルで著者が言いたかったのは、自分の人生を自分で采配せよ、とのこと。人は、どうしても他人の言うことに振り回されるし、いろいろなしがらみを気にしてしまう。簡単なようでいて、自分のやりたいように、自分で決断して生きるのは難しい。
自分のことは自分で決めるのだ、どういうスタイルで生きるかも含めて、ということを肚に決めることで、仕事のしかた、生き方、考え方が変わってくるように思われる。そういうあたりに迫れていることで、この本は広い意味での教育論になっている「コーチング」と同様、野球にとどまらない、生き方論になっている。おすすめである。