佐藤文隆「職業としての科学 (岩波新書)」

宇宙物理学の科学者として数々の本を著してきた著者が、科学という職業に対して良きも悪きもさまざまに言われる現状について、考えてみようとする一冊。

未来の科学の社会的あり方にはまだまだ多くの可能性があり、転換期には豊かな想像力が問われているのである。(「はじめに」より)

あ、そうだよな、と目を開かされる一言。そうだ、別に科学という仕事が、ずっと今のままのあり方であるとは限らないし、その必要はない。科学をこれからどのようにしていきたいのか、について、実際にそれをやっている人間が、科学と密接に関わる社会の人々と一緒に考えていきながら変えていけば良い。

外から科学を見ている人が中にいる人を批判し、中にいる人が自分の環境について不満を述べているような現在の科学の状況。それを、ただ偉そうな立場から述べる本には興味はない。この本が面白そうだと思ったのは、職業として科学が成立してきた歴史を踏まえて現状を考えていこうという、実にスタンダードながらまっとうなスタンスにある。
そのようなスタンスで科学の歴史について語る本は、これまでにもあった(「ガリレオの求職活動…」など)。しかし、取り上げている年代がかなり前だったりして、興味は引かれるし面白いが、今の科学がこのようにある成り立ちについて考えるには少し物足りないことも多かった。
この本は、ニュートンの時代からはじまって、現代に至るまで、次のような歴史をさらってくれる。

まず第一段階として、放っておいてもさまざまな職業のなかで科学の知識が生みだされ、さまざまなかたちで受け継がれてきた状態があった。次の第二段階として、王立教会のような、同好の士が集まって知識を会報などで共有し、相互批判で質を高め合う自主組織ができて、進歩が加速された。その後の第三段階として、社会がこの科学の知識を能動的に活用するために、知識算出の効率化をはかり、その職場や教育制度をつくった。(p27)

特に今の科学を考えるにあたって一番参考になり、かつ面白いのが、この「第二段階」と「第三段階」のあいだについての話である。具体的には、ドイツにおける二人の科学者、マッハとプランクを比較した第3章が面白かった。「科学界」とでもいうような、現在見られるような大学などの職場や教育制度がはっきりと確立されていなかった時代の科学者であるマッハは、社会の方を常に向いて科学精神を啓蒙しようとした。対して、プランクは制度として科学を社会から隔離して保護し、それ自体を目的として純粋さを追求しようとした。
この二人の違いは、二人が生きた時代の差であり、どちらがいいというものではない。だが、時代として新しいプランクの純粋科学の路線を、科学者は当然のものとして考えがちだ。しかし、社会から隔離した科学という路線の追求が、専門家と専門家でない人々の乖離を生んでいる。

確信犯的に、科学にはいろいろなあり方があることを歴史的に示していくこの本は、人によっては読みづらく感じるかもしれない。しかし、そのひっかかりこそが、著者の狙っていたことであり、読んだ私たちは、そのひっかかりをきっかけにして、今後の科学のありかたについて考えることができるだろう。