宮田親平「「科学者の楽園」をつくった男―大河内正敏と理化学研究所 (日経ビジネス人文庫)」

日本屈指の自然科学の研究所である理化学研究所理研)。この組織がどのように生まれ、日本の科学の発展にどのような影響を及ぼしてきたか…。第3代所長の大河内正敏と、彼が力をふるった戦前戦中の科学者の活躍を中心に描かれる。
「科学者の楽園」とはノーベル賞受賞者朝永振一郎がのちに理研での研究生活を振り返った時に言った言葉だそうだ。多くの研究者が連携して高め合う雰囲気、基礎研究から何でもやる自由さ、そしてそれらを生んだ制度や所長のリーダーシップなど、日本の科学を引っぱる研究所のなりたちがさまざまな側面から語られる。硬直した日本の大学の講座制や、資本主を気にしなければならない海外の研究所とは違う自由さに戦前の科学者たちがひきつけられた様子を今読むと、ますます忙しくなり自由が減る大学の現状を考えて、悲しい思いがしてしまう。

自分の研究に関わる過去の知見についてはよく昔の研究を調べる科学者でも、研究室の運営などについて歴史に学ぶ機会はあまりにも少ない。ビジネスの世界では経営についてビジネス書で考えたり、他のリーディングカンパニーや歴史上の会社から学んだりするのに、研究室の運営についてそういうことを考えることがあまりないのはおかしい気がする。どんな環境が科学的発見を生み、どういう研究室運営や雰囲気が研究を花開かせ有益な人材を生み出せるか…。この本は、理研という一つの花形研究所の歴史を通して、そういうことを考えさせてくれる。

もちろん、研究は時代とは無縁ではいられない。実際この本でも、自由が持ち味の研究所ですら、戦時色が強くなるにつれ、基礎科学を充実させそこから積み上げていき、という悠長なことをやっていられなくなる様子が書かれている。また、現在でも理研がこの本のような自由さと雰囲気を持っているかはわからない。ただ、こういう組織を一から立ち上げた歴史、その工夫や語られている雰囲気に学ぶことは多いはずだ。

そういう意味でも、鈴木梅太郎長岡半太郎寺田寅彦朝永振一郎湯川秀樹仁科芳雄ら、理研に集った一人一人の研究者のストーリーも面白い。研究者の人の評伝や自伝はどれも面白いが、この本もその例に漏れない。一人一人の話はそれほど長くはないし、どこかで聞いた有名な話もありつつ、理研という組織のなかで、バイタリティーと個性にあふれる研究者たちがどのように成果をあげていったのかがよく伝わってくる。

また、自由な研究をどのように資金的に支えるかも重要な問題であり、それに関する四苦八苦も書かれているのが面白かった。渋沢栄一理化学研究所の発足に努力したことや、自由な研究を生み出すための場とパトロンの重要性などを考えると、この本は、渋沢家について書かれた「渋沢家三代」や、渋沢栄一の孫で、民俗学パトロンとして支えた渋沢敬三を描いた「旅する巨人」と通じるところが多かった。

この本は絶版になっているのかアマゾンで買えなくなっているが、気になっていて前から捜していたのを、某古本チェーンで見つけたもの。日経ビジネス人文庫に入っているが、ビジネス書と思わず科学にたずさわる人に広く読んでいただきたい一冊。