内井惣七「ダーウィンの思想―人間と動物のあいだ (岩波新書)」

進化論を提唱したダーウィンが生まれて200年。その間の科学の急速な進歩にも関わらず、進化論の先見性と与える影響の幅広さ、さまざまな研究に及ぼす示唆は決して薄れていない。その思想や人物についての本は数多くあるなか、この本は、ダーウィンの研究の成長と深化の道筋を辿り、彼の言おうとしたことをもう一度わかりやすく考えてみる、実に勉強になる一冊だ。

地質学から学者人生をスタートしたダーウィンが、どのような人々の研究や自分の経験から影響を受けて進化論を提唱するに至るのか。その思想の移り変わりを多数の残されたノートから読み解く。
後世に名を残すダーウィンと言えども、一人の科学者である。最初から大きなことを考えていたわけでもなかろうし、現在伝えられているような説にすぐに至ったわけでもなかろう。その間には多くの人々の先行研究の影響を受けている。それを紹介しつつ、彼の言わんとしたことを解きほぐしていく。一度知っているつもりになったことでも、少し視点を変えて解説されると腑に落ちる具合が違うから面白いものだ。

講演や講義などで同業の他の研究者の話を聞いていて一番楽しいのは、その人がいかにしてそのようなことを思いついたのか、どういう経緯で今の研究にのめり込んでいったのか、という個人史だと思う。どんな人であれ、ある科学者の研究の発展、思想の展開の経過を辿るのは面白いが、それがダーウィンという人ならばなおさらである。
よく知られているように、彼がそれまでの生物についての考えをはるかに飛び越えてしまうような進化論のアイディアを思いついてから公開するまでには、こんなことを言ってもいいのかという悩みや、自分と同じような考え方が現れてきた際の動揺などがあった。
この本ではそういう部分だけでなく、彼が地質学者として訓練をうけつつも、のちにはヒュームの道徳の哲学なども学んで自説を展開していく様子や、それらの既に述べられていた、もしくは他分野の学問における思想とのリンクが語られていって、とても刺激的だ。こういった幅の広さとダイナミックさが、ダーウィンについて研究すること、そうして書かれたものを読むことの醍醐味であるように思う。

「人間と動物のあいだ」が道徳という高度に思える営みでさえ連続している、という考えを明確にするまでの周到さ。既存の研究や思想、方法論を勉強して組み合わせ、小さな証拠を積み重ねながら200年後にも通じるビジョンを描いたダーウィンの研究のしかたからは、同じようなことができるかは別として、とても得るものが大きい。それほど厚くはないけれども行きつ戻りつしつつじっくりと読んで、そういうことをいろいろと考えていく楽しさがこの本にはあった。