坂口安吾「桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)」

森見登美彦さんがリメイクした桜の森の満開の下」を含む、坂口安吾の短編集。
歴史に材を取った短編があるとともに、奇譚とでもいうのか、演劇にでも出てきそうな芸術的な世界が展開される物語もある。現代に生きる人間の物語がほとんどないせいもあってか、浮き世から離れて、じっくりと物語世界にのめり込ませてくれる。

どれも、すっきりした読後感にはならず、ひっそりと寒く怖いものが身体を通り抜けるような感じがある。妖怪や化け物ではなくて、人間こそが一番怖い、のだろう。

もちろん、表題作はよかった。これは読んだ人がいろいろ影響をうけるのもわかる、と思うほどのオーラを放っている。
同時に、戦国時代を描いた作品(「二流の人」「家康」「梟雄」)も面白く読んだ。小説家や画家など、自分の一番表現したいものを追い求めている芸術家たちの心持ちが、天下統一を目指す戦国武将たちに重なる。
そこに現れてくる書いた人間のことばが、家族を持ったり、落ち着いてしまいそうな年頃の自分たちにずきっとくるのである。最後に、自分への戒めのために一カ所引用しておく。

芸術の仕事はそれ自体がいわば常に戦場で、本来各人の力量が全部であるべきものである。力量次第どんな新手をあみだしても良く、むしろ人の気附かぬ新手をあみだすところに身上があり、それが芸術の生命で、芸術家の一生は常に発展創造の歴史でなければならないものだ。けれども終世芸に捧げ殉ずるというような激しい精進は得難いもので、ツボとかコツとかを心得てそれで一応の評価や声名が得られると、そのツボで小ヂンマリと安易な仕事をすることになれてより高きものへよじ登る心掛けを失ってしまう。(p256)

まさにその通りの姿をこれからどれだけ見るだろうか。忙しさと、自分が生きていかねばならぬという前提のなか、誰の生活にも益しない芸術・科学というものに対して死ぬまで精進していくことがどれだけ難しいか、それは感じている。なるべくならあがきたいし、最低でも、それでも高みへ登ろうとする人を、笑わない人間ではありたいと思う。