楊逸「時が滲む朝 (文春文庫)」

特に中国に思い入れがあるわけでも、日本の現状に不満があるわけでもない。ただ、この本を読むと、わけもわからず、親のことなどを思い出して、胸がつまった。ふるさとに、いつでも帰れること。つながっていられること。子どもがいたら、ふるさとの言葉を話してくれること。…そんなことが、当たり前じゃない。そういう人たちの、国への愛憎半ばする気持ちとは。

この本で描かれる中国の人は、みんなが革命を望んでいるわけでもなく、普通に平和に暮らしたいと思っている人もいる。そういう、いろいろなバックグラウンドの人々の現実感のある気持ちを描いているところが、いいと思った。革命がうまく行かなくても、どこか傍観者的な立場にいた人でも、国を憂う気持ちはみんな一緒だ。自分の生まれた国を出て世界中で活躍する中国の人の強さと誇りの基盤の一端が、なんとなく感じ取られた気がする。

この本を読んでみると、君が代を歌っている最中に立つかどうかということでもめている国の平和さよ!なんて感じてしまう。これを日本語でしたためた作家は、日本の文化と、それが与えてくれる心の揺れへの愛着と同時に、どこかで、偉大な民主主義の国アメリカと比べたときの日本に、突き放した視線があるように感じる。どこへでも行ける国、何でも発言できる国。なのになぜにこんなに息苦しく考えねばならんのだ?と。

不思議なことだけど、こうして自分の国の解決しようがない不自由さについて語られると、なにか、いやでも自分の生まれた日本という国について、他の人たちにどう説明していくべきなのか、などということについて、考えたくなる。主人公の息子は、日本をふるさととして生きていく。主人公は、それをどう思っているだろうか。自分とは違う国ということで複雑な気持ちではあるだろうが、必ずしも、希望ばかりを抱いているわけではないようにも思えた。