下條信輔「サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)」

このあいだテレビを買った。最近のテレビは値段も機能もさまざまで、販売員さんの話を聞いても、本当に納得して買ってよいのか決めかねる。また、印象に残ったのが、発色を不自然なほどはっきりさせる機能を持ったものがそれなりにあったこと。しかし、それもしばらく見ていると、大きな違いはないように、むしろよりきれいなようにも思えてくる。刺激の強い画像に、こうして慣らされていくのかな、とふと思った瞬間であった。
さて、そこでこの本である。本書では、心の潜在過程、特に『情動系』(感情とそれをもたらす神経や身体の反応)に注目した研究を紹介しつつ、それを刺激したり利用したりするCMや政治キャンペーンについての問題や、潜在過程があるからこそ発揮できる創造性について語っていく。
このように簡単にまとめると、潜在意識に働きかける宣伝の恐ろしさを告発して怒りを覚えているような、ありがちな本を思い浮かべてしまうかもしれないが、この本はそんなに簡単ではない。
序章を読むとこの本のスタンスがわかるので、簡単に紹介する。序章の中心となるのは、『人は好きだからそれを見るか、それとも見るから余計に好きになるのか(p25)』という問いを立てて行った実験の結果である。この結果から、好きだから見るという側面もありながら、見るからこそ余計に好きになるという「潜在的な」神経の回路も存在しており、この相互作用が「好き」という気持ちを引き起こすのだ、という結論に至っている。この結論は、人の好き嫌いは操作できるという主張を導くものであり、次の章からの、音楽などの潜在意識に働きかける刺激について論じる際に重要になってくる。だからこそというか、この結論を導くまでの過程の注意深さは、一般向けの新書ながらも、科学者として実に良心的なものだ。つまり、こうだからこうですよ、と言いっぱなしにするのではなく、コントロール実験や、その実験の結果をフォローする実験などについても詳しく記述されていて、主張をしっかりと裏付けている。てっとりばやく結論を知りたい人には面倒くさいかもしれないが、個人的には、この注意深い書き方に感銘を受けた。まことに、いっぱしの主張をしようと思うと、実は科学とは面倒くさいものなのである。
こうした慎重さのうえに、一章で、音楽が発生し定着したのはなぜかについて著者は問うていく。そのうち、『より進化した動物ほど、外部からの生物学的報酬ではなく「感覚そのものの」「内部的な」報酬に反応しているのではないか。(p79)』という仮説に行き当たる。人は、何らかの報酬が得られるから音楽が好きなのではなく、音楽により感覚が刺激されること自体を好むように進化してきたのではないか、そのほうが生存や繁殖に有利だったのではないか…この仮説は、著者の挙げる実験例やこれまでの知見と重ねてもとても説得力がある。
このことから、人があまりにも極度な刺激を感覚として好む性質を身につけてしまったこと、そういう潜在意識を利用しようとする人が現れたこと、と話は展開していく。テレビの発色がどんどん鮮やかになっていくのもその一つの現れだろう。また、テレビにせよ食品にせよ、我々が商品を選ぶ際の選択肢はどんどん増加し、選ぶこと自体にくたびれていく。逆にそれを利用して、潜在意識に働く広告や宣伝を考えて、てっとりばやい結論を「自由に」選んでもらおうとする動きもある。政治においては、我々の意識に潜在的にある恐怖感や自己防衛本能を利用する者もいる。こうした動きは、潜在意識に働いているだけに、避けようと思ってもなかなか避けられない。こういう事態は、これまでもいわれていたことだろうし、この本を読む読者も少なからず感じるところだと思う。
しかし著者はここでもあくまで慎重だ。決して、CMを作る側、政治キャンペーンを行う側に原因を求め、悪者にはしない。『情報公開は常に情報操作の要素を含んでいる(p232)』ことに注意を向け、『すべては誰かの意図とは独立に自己組織的に起きた(p198)』と述べるだけである。陰謀論とは一線を画した、進化の行き着いた先として現状があるとの主張は科学者として言える中立的で現実的な主張だ。そして、大事なのはこうしたヒトの脳の進化の行き着いた現状とその原因を知り、潜在的意識の操作を避ける手段を、意識できるレベルで講じることだとアドバイスする。その具体的な内容についてはぜひ読んでもらいたいが、神経科学の成果を慎重に解釈した上でのメディア論は、文系理系に関わらず一読の価値があると感じた。
ある意味メディア論として読める4章までとは別に、最終章では、独創的な発見と潜在意識について書かれており、これがまた面白い。なぜ大発見は「言われれば当たり前」と感じるのか。独創性はどこにあるのか。クリエイティビティは訓練によって獲得できるか。個人の心の潜在領域と、周囲の人々や環境との相互作用し合う領域としての「周辺」の重要性が語られる。独創性や天才が一人の人間の所持物ではないというメッセージは、若干重い空気を感じる前章のあとにあるだけに余計、明るう勇気づけられるものに読める。

遺伝子や環境、教育などの相互作用で本人の辿って来た来歴と、その時代の社会と学問の文脈/状況/。それらが奇跡的に、非線形に(=予測し難い形で)スパークしたときにはじめて、独創的な洞察が生じるのだから。(p288)

この章ではまた、『スパークさせる』ためのヒントを披露してくれている。これは、ささやかながら独創性が必要な研究者という仕事をしている自分でも、確かにそうだなと納得しうるものであった。芸術・科学、いかなる分野であれ、独創的であろうとする人は、ぜひ、買って読んでみてほしい。

ちなみに10年以上前のこの本もとても面白い。この本が応用編とすれば基礎編という位置づけとのことなので、こちらもぜひ。

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

それにしても、科学者が新書に面白く書けることなど、どんなに独創的な人でも限られている。著者は、10年少し前に2冊書いた後、これが久しぶりの新書であるとのこと。本は一度売れればまた書いてくれという要求があるだろうが、科学者は、あとがきに書いてあるように著者がしていたような断筆宣言をしてでも「書かない勇気」が必要なのではないか。科学者の書くものの信頼性のようなものは、やはり薄めたものを書いていると薄れていくものだ。誰のことを書いているわけでもないが、なんとなくそう思った。わかる人はわかるかもしれないが。