岩田健太郎「予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える (光文社新書)」

効くという人もいれば、効かないという人もいる。そもそも嫌いだという人もいたりする。そういう複雑な感情を持たれている、「ワクチン・予防接種」について、いろいろな観点から、その効果や副作用についての現在の知見を紹介していく。

読み終わって、サブタイトル「ワクチン嫌いを考える」に全てが言い尽くされているように感じた。著者は、予防接種が効くから打ちなさい、という主張を通すためにこの本を書いているのではない。
むしろ、「なぜワクチンを嫌う人がいるのか?」「なぜ証拠も研究結果もないようなことを信じる人がいるのか?」ということを突き詰めて考え、そういう方々に関する自分なりの結論を出そうとしているのがこの本である。

「ワクチン嫌い」の言説は、好き嫌いから生じていると僕は思います。最初は好き嫌いから始まり、そして「後付けで」そのことに都合の良いデータをくっつけ、科学的言説であるかのように粉飾します。都合の悪いデータは罵倒するか、黙殺します。(p203)

このように、著者は「大人であれば顕在化させてはいけない」好き嫌いが、ワクチンは効かない、とことさらに主張する人々の根底にある、と述べる。そして、誰にでも好き嫌いはあるからそれは否定しないが、それを正しいか間違っているか、の話にすり替えてはいけない、と語る。
これはなかなかおもしろいスタンスだ。これまでの「非科学的なもの」「似非科学」に対する本は、どちらかというと真っ正面からその非科学的な部分を指摘するものが多かったように思うが、この本はそうしたスタンスをとらない。科学的事実はそれとして淡々と述べるだけだ。もちろんその際、科学の困った部分、100%うまくはいかない部分についても隠さず述べる。
そのうえで、上のようなことを書き、「好き嫌い」を表に出してそれを「正しい」とすり替える人間をぐさっと刺す。「好き嫌いを表に出してはいけません」とのべ、そうした人を「幼稚」で「子どもっぽい」と述べる著者の書き方は、まるで大人が子どもに諭すようだが、そのことを否定しようとも隠そうとしないあたりに著者の毒があり、そういうところは個人的にとても好むところである。
もちろんこうした状況になるにあたってのメディアとマスコミの害についても述べていて、『最近思うのですが、僕らはそろそろマスメディアを黙殺する、「マスコミ・パッシング」という戦略を積極的に採用する時にきていると思います』となかなか面白くてうまいことをおっしゃる。だいたい、新聞を読まなければいけない、と主に言うのは著者の書く「白髪の小児」の世代で、新聞もテレビもなくていい、という人はこれからどんどん増えてくるだろう。この提言も含めて、著者のスタンスはとてもスマートでいい。


興味があるのは、というか気になるのは、著者がいう「ワクチン嫌い」の人々がこれを読み、自らを省みる可能性があるか、ということだ。
著者は、そういう可能性を高めるために、とても戦略的に考えているように思われる。まずタイトルだ。サブタイトルが本音だとすれば、「予防接種は「効く」のか?」という本タイトルは、「ワクチン嫌い」の人々の興味をも引きつけるような、「?」で終わる流行りもの風にしてある。
さらに、主張の展開をするにあたって、予防接種が現代医療の最大の功績であることは「常識」としながら、『現在の「常識」は将来の「常識」を保証しません。(p5)』と述べ、科学的には当たり前な態度ながらも、ワクチンはあまり有効でない可能性もあるのかな、という気分を壊さないように議論に入っていく。そのうえで、生ワクチンにこだわり、あらずもがなの副作用を招いているポリオウイルスの例などを挙げ、「善悪」「正邪」では割り切れないワクチンのありかたについて説いていく。


こうした、否定をしないように書きつつ、いかに自分が感情に左右されて科学的に考えていないか、ということを気づかせるようなやりかたが、なんとも、うまいのである。頭の良い人は、正しいことを言えば通じると思って人をぐさぐさ刺していくことが多いが、著者はそうはしない。
頭の良さは、こうやって、毒をまぶしながら発揮していくべきだ、というお手本のような本である。