加藤文元「ガロア―天才数学者の生涯 (中公新書)」

数学する精神」で、最先端の話題まで含まれた数学の本を読む楽しさを味合わせてくれた著者。今度の新書は、革命期のフランスで活躍し、20歳で決闘により命を落とした天才数学者、ガロアの評伝である。
前の本を読む限り、著者は、数学の難しいアイディアを、(おそらく)程度を落とさずおもしろさを伝えるという点でとても素晴らしい書き手だ。夭折の天才数学者の人生を紹介したこの本でも、その腕は遺憾なく発揮されている。


決闘の話など、良く知られているがフィクションの部分が大きい評伝をただ引用するだけではなく、ガロアに関する最新研究にも詳しくあたったうえで、彼の人生を再構成している。ドラマティックに書くなら、あまりに天才過ぎて自分の研究の意味がわかってもらえなかった悲劇の数学者、ということになるのだろう。しかし、最近の研究をよくあたっていくと、コーシーなど、当時の最先端の数学者にもガロアの研究の意味は通じていた、と考えられるという。それでも、論文の紛失など不運もあり、彼自身の飾り気のなさも手伝っての、あまりに若すぎる死は、やはりドラマティックとしかいいようがない。
いっぽうで、現代の目から見ると、どれだけガロアの考えていたことが先を行っていたか。それも、うまく書かれていて、素人ながらに感じ取られる。現代の数学者から見たときに、もっと生きていてくれたら何を見せてくれていただろうか、という嘆きもなるほどと思われた。


自分の仕事と関連づけて興味深かったのは、著者が、『ガロアの論文は、残念ながら読み手に対するサービス精神が極めて乏しいのだ。(p241)』と評している部分だ。当時の数学者はガロアの論文を理解しなかったのではなく、査読者として、ガロアの論文には省略や飛躍が多く、他の読者には読みづらいと判断したのだろう、というのが著者の意見だ。
これはすごくよくわかる。どんなに時代を先取りする概念に到達していても、読み手にわかるように書かねば、インパクトのあるものとして世間に納得してもらうのは難しい。その時代の最先端の科学者は、どんなに難しく書いてあっても、そこに時代を超える概念があればピンとはくるものだ。ただ、それだけでは多くの読者を対象にしている雑誌には載せられないし、多くの人の目に触れることも少ないだろう。
ガロアの場合は、時代が彼に追いついた時、それを掘り出して評価する人がいた。これだけでも幸せだと思わねばならないのかもしれないが、見合った評価が生前にかなわなかったことが彼を死に追いやった一つの遠因であるとすれば、あまりにもさみしすぎる。
時代を先取りするにしても、そうした考え方を提示するには、発表する人の科学的コミュニティ内での評価をある程度高め、それまでの研究の結果を地味でも見せていくなど、一歩一歩地固めをしていく必要があるということを改めて考えさせられる。


本書では、当時のパリの雰囲気を伝える「レ・ミゼラブル」の引用があちこちでなされており、ガロアの生涯に色合いを添えてくれる。一冊の中で、フィクションとノンフィクションとの違いこそあれ同時代を生きたガロアとの比較で何度も出てくるので、だいぶ興味をひかれる。読んでみようかなぁ。