サイモン・シン「宇宙創成(下) (新潮文庫)」

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サイモン・シン「宇宙創成(上) (新潮文庫)」 - 千早振る日々
ビッグバンモデルが成立するまでが上巻だった。下巻では、さまざまな証拠が集まり、ビッグバンモデルが実証され、広く認められるに至るまでが書かれている。
宇宙の話なのに、超ミクロな原子と電子についての話から下巻ははじまる。しかし、この原子物理学という分野にこそ、宇宙創成の謎を解き明かすカギがあった。
ビッグバンモデルをモデルから予測される決定的な現象がなかなか観測されず、ビッグバンモデルに批判的な科学者たちが新たに定常宇宙モデルを打ち立てて対抗する。両モデルの主唱者である、ガモフとホイルという二つの個性の生い立ちや、彼らの発見のエピソードはとてもドラマチックで読みごたえがある。

その後も次々と登場する、個性的なバックグラウンドを持つ科学者たちの刺激的な協力関係、および異なるモデルを主張する科学者のライバル関係。宇宙創成の謎とは全く異なることについて研究しながらも、測定の正確さにこだわり、不思議な現象を捨てずに追求することでビッグバンモデルを支持する大発見をした、セレンディピティーに恵まれた科学者たち。
豊富な資料の写真や風刺漫画から、それぞれの人物たちの性格や人間関係を想像しながら読める。
下巻でも、『科学モデルは、観測技術などの進化によって、時間をかけて改良されていくもの(サイモン・シン「宇宙創成(上) (新潮文庫)」 - 千早振る日々)』だという、著者の考えは一貫している。ずっと疑われないモデルというのはなく、疑い、批判し改良することで科学は進んでいく。
典型的な例としては、宇宙の年齢が考えられていたよりもずっと古いことがわかった顛末がある。上巻で活躍した、偉大な天文学者であるハッブルの測定を疑い、それに欠陥を見いだすことでそれは成し遂げられた。偉大な業績を挙げた科学者の結果を疑うのは難しい。しかし、そういう精神こそが科学を先に進めるのだ、ということがこれほどわかりやすく示される例もそうないと思う。とても興味深かった。

ビッグバンモデルがほぼ認められるところでこの物語は幕を閉じる。著者は、しかし、それで一件落着というわけではないのだ、ということを強調する。実際、ビッグバン前はどうだったのか、など謎は多いし、ビッグバンモデルもあくまで今のところ、最もすべてを説明できるモデルであるに過ぎないのだ、と。
だからこそサイモン・シンは、ビッグバンモデルに批判的なまま死んだ科学者、ホイルにも公平な目を向ける。ホイルが自伝で、『ビッグバンモデルを主張するものが、正しい理論に到達したと考えているならば思い上がりだ』と述べていることについて、このように書く。

…こういう健全な反抗の精神は、本来的に科学がもっているはずのものであり、ゆめゆめ否定的に捉えてはならない。つまるところビッグバン・モデル自体も、主流派に対する反抗の結果として生まれたのだから。(p309)

一人の天才がすべてを発見したわけでもなく、偉大な科学者の測定結果ですらも、後の時代に過ちが発見される。モデルはすぐに示されるわけではなく、多くの科学者の試行錯誤の上に実証される。『フェルマーの最終定理』のようなドラスティックさはないかもしれないが、科学の営みとその魅力を余すことなく伝えてくれる。