カズオ・イシグロ「わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)」

2、3年ほど前に話題になったこの本が、昨年夏に文庫化。待ってましたと買ったものの、落ち着いて読みたいなどと思っているうちに半年経ってしまった。
それでもやはり、比較的余裕のあるときに読んでよかった。あちこちのブログや雑誌などで読んでいた噂に違わぬ面白さ。
「介護人」をしている主人公のキャシーが思い出すのは、子どもの頃、仲間とともに過ごした施設での日々。秘密があり、仲間同士の心の通い合いや嫉妬がある。対人関係において、かたくなだったり、繊細だったり。大胆な気持ちで大きなことを言ってみたと思えば、逆に心を閉ざしたり。「特別な存在」でありながらも普通の若者である三人の微妙で壊れやすい関係。
そんな、ティーンの心の揺れ動きとか、微妙な友人との関係がじっくりと語られていく。読んでいると、大人になってみればどうってことなく忘れてしまうような、しかしその歳のころにはとても重要だったような、そんなエピソードにたくさん出会う。その書き方の丁寧さゆえに、主人公や、その友人のトミーやルースの一見嫌な行動も、そう行動する心のうちがよくわかるから、共感できる。主人公たちの行動の裏に見える、大人の社会へのあこがれやその反面の恐れが感じとられて、そんな気持ちを持っていた頃を思い出してしまった。
ぼくらは大人になるにつれて、社会や家族のいろいろな複雑な事実を知ったり、知らされる。なかには、太刀打ちできずに無力感ばかりに襲われることもある。
この物語で主人公たちが直面する現実は、読者のように普通に暮らしている人間には理解できないほど過酷だ。しかも、そういうこともあり得るのかもしれない、世の中は対抗できない現実に満ちている、と感じさせられる切迫感がある。
しかしこの本は、子どもの頃の仲間や見守ってくれた人々との記憶、さらにはそれらを共有できる仲間が、現実から逃げずに生きていく力になるということを思い出させてくれる。人によると思うが、ぼくは重いテーマの中に、希望を感じた。
小説にあまり興味のない理系の人にこそ読んでほしいテーマとともに、じっくり味わう価値のある一冊。
読んで、この感想を書いてから、下の雑誌の柴田元幸特集に載っているインタビューを読んだ。感じたこととリンクしているような言葉もあって、面白かった。

Coyote No.26 特集:柴田元幸[文学を軽やかに遊ぶ]

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