サイモン・シン「宇宙創成(上) (新潮文庫)」

本屋に平積みになっているのを見てわかった。タイトルこそ違え、これは文庫化されたら読むぞと決めていたあの本だと。

「宇宙の進化は、終わったばかりの花火になぞらえることができる。一筋の霧と灰と煙。われわれは冷えた燃えがらの上に立ち、衰えてゆく太陽を見、今は消えてしまった世界のはじまりの輝きを思い浮かべようとするのである」(p241)

引用したのは、ビッグバン・モデルをはじめて合理的に主張した、ルメートルの言葉。ロマンチックなこの宇宙像が実際に確からしいものになっていくまでには、しかし、多くの科学者たちのドラマがあった。
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで」「暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで」の天才サイエンスライターサイモン・シンのこの本は、「ビッグバン」に始まる宇宙の進化について研究してきた科学者たちの物語だ。
上巻は、宇宙に興味を抱いたギリシャ人の話から、『ついにビッグバン・モデルは単なる仮説ではなくなったのだ。(p383)』で終わる。しかし、ビッグバンについてを語るにはまだ導入の段階とも言える一章から、単なる説明の羅列でない、手抜きなしのストーリーテリングでぐいぐいと引き込んでくれる。

この本の面白さについて語るために少し一章について詳しく書こうと思う。
ちょうど、歴史的には下の記事の本とかぶっているところが多い。読んでおいてよかった。
佐藤満彦「ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿―科学者たちの生活と仕事 (中公新書)」 - 千早振る日々
地球が宇宙の中心で動かない(天動説)のではなく、地球は太陽の周囲を回っている(地動説)のだ…このことが認められるまでのお話は、既に多くの人が知っているかもしれないとはいえ、そこはさすがにサイモン・シン。ただ歴史上の人物を並べていくだけにはしない。
天動説と地動説。この二つの考えの対立をモデルとしながら、二つ以上の競合する理論があるときは、よりシンプルなほうがもっともらしい、という「オッカムの剃刀」の紹介を盛り込みつつ、科学理論にとって理論が現実世界に合うことが最も重要である、というこの本全体で効いてきそうな考え方をしっかり読者に述べる。
こうした、科学理論に関する重要な考え方を盛り込みつつ、それぞれの科学者のエピソードも邪魔にならないように入れつつ、頭に入りやすい話の順番と流れでコペルニクスガリレオまで行き着く語り口にはため息が出る。曖昧さもわかりにくさもなく、あまりにもうますぎる。著者自身の知識や論理性ももちろんのこと、こういう文章を書くのに、どれだけ調べて、どれだけ細部と全体を吟味しただろう。
しかも、面白いなと思うのは、後付けで地動説が正しかったというのではなく、天動説が当時はもっともらしいという理由がしっかりあったのだ、ということを歴史的な観点から述べていることだ。なぜ、太陽中心の宇宙観(地動説)がギリシャ時代に提示されていたにも関わらず、そのまま根付かなかったのか。
このことについて、第一章では、地球中心のモデルが天体の運動をかなりの精度で予測し得たこと、当時の技術ではそれに矛盾するような現象(恒星が見える程度のズレ)を観察できなかったこと、などが、太陽中心のモデルとの比較表にしてまとめられている*1。さらに、望遠鏡の発明とガリレオの観察でモデルのもっともらしさに変化が生じたのだということを示している。
地球中心の宇宙観を信じる人が多かったのは、宗教的な問題もさることながら、当時の観察技術による説得力の違いも大きかったのだ。科学モデルは、観測技術などの進化によって、時間をかけて改良されていくものであり、これはビッグバンモデルについてもそうなのだろうということが匂わされる。

このように一章は、科学理論とはこのように打ち立てられて改良されていくものだ、ということを一つの有名なモデルケースから説明して、本全体におけるいい導入になっている。
第二章では、アインシュタイン相対性理論が、宇宙の理論にどのような影響を与えたのか、について語られる。「光の速度は?」「光を伝えるエーテルはあるのか?」という本筋からずれているようで重要なトピックから、相対性理論の説明を経て、相対性理論が「膨張する宇宙」という仮説を導くことによるビッグバンモデルの提唱まで、著者の語り口に体を委ねて夢中で読める。
第三章は、宇宙望遠鏡にその名を残すハッブルの二つの大発見がメインのテーマ。その二つ、(1)地球を含む「天の川銀河」以外にも銀河系が存在すること、そして(2)ほとんどの銀河が、「天の川銀河」から遠く離れる方向へ移動していること、がどのように明らかになったのか、そのためにいかなる科学者といかなる技術が貢献したのか、についての話はとても面白くて勉強になる。
ここまででも十分知らないことだらけでエキサイティングであるのに、しかしまだこの本は半分である。残りの半分で、戸塚先生の本(戸塚洋二「戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!」 - 千早振る日々)に書いてあったことにもつながる、素粒子の話なども出てくるのだろうか。仮説でなくなった理論を実証するまでの過程を、どのように語ってくれるのか、楽しみである。

*1:別の古典的な本で既に出されているのかもしれないが、この比較表のアイディアはすばらしいと感じた