研究室内における水平関係を作る

id:arakik10さんが、先日のエントリについて「違和感を覚えた」「上下関係の記述が目に付く」と書かれていますが、実のところ私の考えはそれほどおっしゃられていることと変わらないと思います。
水平的な関係を作ることの重要性。それについて少し書いてみたいと思います。

うちの研究室は、とても水平関係が多いほうです。
学部で入ってきた学生は、自分のテーマについてよく知っていて、直接指導してくれる先輩(主に博士課程の学生です)と、ある程度知っている先輩が何人もいる中で、研究をしていきます。
こうしたなかでは、助教の先生なども、学生からすると「相談しうる年上の人のなかで、もっとも信頼できる一人」でしかありません。
なので、何か困ったり、指導してほしいけども一人では聞きにくいときは、学年がそれほど離れていない学生にまず聞く風景がよく見られます。そして、「もっと深いことは助教の、ポスドクのあの人に聞いた方がいい」となったのちに、話しやすい形で何人かで相談がもたれたりするのです。
昔は、そうではありませんでした。指導者と一対一の関係が多く、学生どうしが互いのやっていることや悩みを知らず、指導者とうまく気を通じ合わせることが出来る人がうまくことを運んだりしていました。その状況では、上下関係が重くて、指導者にうまく自分の悩みを話せない学生がいて、研究室に息苦しさを感じるのも無理はありません。
博士課程の学生やポスドクが増えて、ようやく密で有益な水平関係が増えてきたのです。そうした少々研究室に長くいるメンバーが増えると、そのメンバーどうしで、ああでもないこうでもない、このほうがいいそれは間違っている、と上下関係に左右されない議論が増えます。それを見た学部生などは、誰の意見も絶対ではないし、自分の意見を好きに言ってもいいのだな、と感じるのだと思います*1
もちろん、いろいろ幸運な点はあります。ボスが懸命に外交的に働いて、ポスドクや博士課程の学生が生活に困らず研究室に残れるような環境を用意してくれていること。下から、ある意味「空気の読めない」学生がときどき入ってきては、長年研究室にいると口に出しづらい根本的で重要な質問をして、研究室の空気をかき乱してくれること*2。そういうあれこれの幸運な要素があって、闊達な議論と風通しの良い空間ができているのは確かです。

ただ、幸運だけでもなく、意識してやってきたこともあります。

  • 複数のテーマをまとめる大きな柱をつくり、チームとして動く研究を増やす

個人でやるのが好きな人もいますが、そういう人にもなるべく「みんなとやる」テーマを割り振ります。個人の研究だけでなく、学生どうしの相談やコラボレーションなくしては進められない(でも自分のものとも関係がある)研究をやってもらうのです。その際のメンバーの組み方は、慣れてない学生と2つ以上歳の離れた心強い先輩、のようにうまく考えます。

  • 「雑用」をなるべくみんなでやる

たとえば学会を主催する、とか、対外的なシンポジウムを開く、とか。そういう研究以外の「雑用」とも言われそうなことを、とにかくみんなでやる。研究上同じことをやらなくても、話せる、相談できる、という雰囲気を作れます。

  • 発表練習やミーティングの時間を惜しまない、なるべくみんなで

助教の先生などは時間がありません。なるべく効率的にやってしまいたくなる。それでも、発表練習やミーティングでは、学部生や修士の学生の意見を聞ける時間を確保しています。博士課程くらいの学生には、なんだそんなこと聞いてるのか、と思う人もいると思いますが、基本的な質問ありますか、という時間をわざわざもうけたりします。そうした質問や勉強不足とも思われるような意見にもしっかり答えることで、なんでも口に出していいんだ、という雰囲気を作ります。

どこの研究室でもできそうなことを書きましたが、正直なところは、どれだけ博士課程まで学生が残ってくれるか、がキーだとも思います。助教以下のレベルにどれだけ、自分以外の研究についても語れるメンバーがいるかどうか。研究の芯になってくれる人がいるか*3。博士まで進む学生が少なくなる中、研究室内の水平関係の構築は、ますます難しくなっているのではと思います。
そういうコアなメンバーを作るために、研究室に残ってもらうために、また考えねばならないことがありそうですが、今回はこのへんで。

*1:それでも、彼らが自分の意見を活発に言い出すには一年くらいかかります

*2:悪い意味で書いているのではなく、とても重要なことだと思います

*3:私の先日のエントリは、このエントリで書いたような雰囲気の研究室の芯になっていくべき学生が、水平関係をあまり考慮に入れずに自分のことを進めようとすることへの疑問でした