服部勉「大地の微生物世界 (岩波新書 黄版 390)」

1987年の新書を、アンコール復刊とのことだが…これはすばらしい。
この本をアンコールしてくれた人に感謝したい!

レーウェンフックとパストゥールからはじまる話は、普通によくある微生物学の入門書かと思わせるが、そのくらいでわざわざ復刊されるわけもない。予想外ながらも期待どおりというか、そこからの目のつけどころ、著者の主張の展開は一筋縄ではいかない実に骨のあるものだった。


普通の微生物学の手法、すなわち、(1)寒天培地の上に細菌をまくと、コロニーと呼ばれる丸い集団が生じる(2)そこから一つの菌だけを取り出すことができるとともに、どのくらいの菌がいたのかを量ることができる…を説明したのち、それでは説明のつかない事象についてしつこく考えていく著者。

土の中には、あまり働いていない、すなわち培地の上にまいてもなかなか生えてこない、普通に分離できない微生物がいるという問題がそれだ。

よくある微生物についての入門書では、お酒を醸すとか、納豆を作るとか、人間にとって役に立つ機能を持ち、目に見えて増えてくれて分離できた一部の微生物について得られた研究成果について語ってくれている。もちろん、そうした有用微生物の利用は、人間の食生活を大きく変えてくれたわけだし、知っておくべきである。
ただ一方で、そうした機能や目に見える増殖だけに着目する研究には限りがある。著者は、土壌に生息する微生物は実に多様で複雑であり、そこにはそうしてこれまで研究者が取り出して研究してこなかったものもたくさんいるだろうと考え、トータルとして土壌の微生物を考えていく方法を模索する。その成果と考えたことの一部が、この本に書かれている。


自分で知る限り、こうした「あまり働いていない微生物」の問題は、この本が書かれた20年前どころか、現在でもまだ解決されておらず、別な形で続いているはずである。
もちろん、研究者も、いろいろな手法でそうした微生物群を包括的に捉えようとする試みをしてきたはずだ。例えばこの本では、微生物を構成する物質に注目した「バイオマス」の研究が紹介されている。また、近年では、機械の力に任せて、環境(ここでは土壌)の微生物のもつ遺伝子(ゲノム)をまとめて読んでしまおう、とする「メタゲノム解析」という手法もある。そうした手法が、複雑で捉えがたい微生物の世界を少しずつ明らかにしてきているのも確かだろう。しかし、それでも、研究者はこうした複雑な環境中の微生物の生態を完全に明らかにしたとはいいがたい。


この本はある意味で、近年注目されてきている「培養できないが生きている(vaiable but non-culturable; VBNC)」細菌の研究の先駆けになるような考えを提起しているのだろうと思う。実際、著者も『生きていても、増殖をはじめない細胞の存在を否定する理由があるだろうか。(p199)』と述べている。
こういう考えを、メタゲノム解析のような力技の効かないどころか、遺伝子を増幅する手法すら乏しかった時代に、工夫された実験で少しずつ世に問うていった著者の姿がこの本からは伝わってくる。読んでいるうち、こういう、技術さえあれば誰でもできるようなものではない、頭を使ったまさにオリジナルな研究をやりたいと心から思われてならなかった。


少々難しいように思われてしまうかもしれないが、その筆致と説明は実にわかりやすく、著者の考え方と、そこから引き出される人間と環境、微生物の関わりについての考察は、生物に詳しくない人でも、引き込まれることは間違いないだろう。非常に刺激的な本で、おすすめである。