日垣隆「知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る (新潮文庫)」

文筆業で稼いでいるわけでもないのに、自分の仕事と関係のない本を日々ちくちくと読んでしまう自分が、『アウトプットを前提にしないと、インプットはほとんど意味をなしません(p54)』という著者の言葉を完全に理解できているとは思いがたい。
しかし、こうして読んだ本に関して一見漏らさず日々書いているのは、どこかで、インプットした分を意味あるものにしたいと考えているのだろうと感じている。
この本では、本をいかにして読むか、付箋をどうつかうか、といったあたりから、机まわりの整理のしかた、本をいかにしまうか、それらをどうアウトプットにつなげていくか、といったことにまで、著者が日々心がけていることを、そのこだわりとともに披露し、ではどうするか、ということを読者に考えさせてくれる。
文庫化に際し、iPhonetwitterについて追加したとのこと。そういった最近のツールも含めたインプット、アウトプットのしかたについて考えられるようになっているところが実に心憎い。


しかし、多くのおもしろい本にとってそうであるように、この本でもおもしろいのは、方法論よりもむしろ、著者の知的生産に関するポリシーというか哲学である。
特に印象に残ったのは、確実にできる仕事、これまでの仕事の流れでできる仕事ばかりしていくのでは成長しない、たくさんの種類の仕事をできるだけ多くフィニッシュさせろ、という主張である。

知識や経験値をどうやって定着させていくか。ただ漠然と蓄積するのでも、体験としてどれだけのものに関わったかでもなく、どれだけのものをフィニッシュさせたか、これがとにかく一番重要です。(p138)

アーティストでも研究者でもそうかもしれないが、自分の得意技のようなものができてしまうと、結果が出やすく評判もいいだけに、ついついそれに頼ってしまうのではなかろうか。
テーマとか技術の継続性は、仕事を頼まれるようになったり、実績をあげるうえで確かに重要だ。しかし、それだけでは成長しないよ、という著者のアドバイスは、個人的には、とてもあたっているな、痛いところを突いている、と感じる。
自分ができるようになった仕事や技術は、いつまでも自分でやるのではなく、マニュアル化して誰でもできるようにする。そして、自分はどんどん自分にしかできないことを探してやっていく。
必死になっている間は、ついついできることばかり、きちきちに詰めてやってしまうが、それでは成長はないし、楽しくない。自分でなくてもできることはやめること。自分で数をこなせるようになったら、キャパに余裕をもたせて、今度は仕事の質を上げていくこと。
このあたりのことは、とても考えさせられた。自分がなにをすべきか、どういう質の高いことをやっていくか、ということを、常に考えていかねば。