半藤一利「それからの海舟 (ちくま文庫)」

東京で生まれ、佐幕藩として有名な長岡に暮らしたこともある著者。徹底的な「薩長嫌い、幕府びいき」の立場から、勝海舟について講談風に語る。
すがすがしいほどの肩入れようは、半端に客観的、中立であろうとする書き方よりもずっと好ましく読める。
西郷隆盛と会談を行い、江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟。しかしその裏には『あひるの水かき』と称されるような根回し、説得、地味な工作があったわけで…。徹底した海舟ファンの著者によって、江戸の町を歩いて庶民の様子をうかがい、横浜でイギリス公使に会い、血気にはやる江戸の武士に命を狙われつつも、自分の狙うところを達成しようとする海舟の様子が丹念に書かれる。
かわいそうなことに、というか歴史は残酷なことに、海舟さんは有名ではあるがあまりその人間が取り上げられたり、人気があったりする人ではないようだ。確かに、福澤諭吉を取り上げて人生を語る人はいても、勝海舟の生き方を取り上げた本はいままでほとんど見なかった。それはどうも、この本によると、というか知られているところによると、維新後、福澤諭吉が「痩我慢(やせがまん)の説」を発表して、やすやすと江戸を明け渡した海舟のことを「断固として戦う日本人の気風がない」「腰抜けだ」と糾弾して、その文章が時勢にのって大流行してしまったことが原因であるらしい。
機を見て威勢のいいことを言い、世間を味方につけるのが上手い人というのがいる。何年か前の選挙にもそんな人がいた気もするが、福澤諭吉の「痩我慢の説」もまさにそんなタイミングのよい威勢のいい偉い人のお言葉、として受け取られたのだろう。
それはそれでそういった歴史なのでどうこう言ってもしょうがない。しかし、この本を読んでいくと、海舟のイメージがかなり変わってくる。維新後も、静岡の一大名となった徳川家の旧臣を食わせるために大忙し。一時期政府で働くものの、維新後のほとんどを一貫して徳川家のため、そしてかつての殿様である徳川慶喜や、逆賊となってしまった西郷隆盛の名誉回復に尽くす。食わせるための仕事探しとか、名誉回復とかは実に地味な仕事だ。わざわざ自分がやらなくても…と思ってしまうのが人情のところを、毎日お金の出入りを気にしつつ、またお偉いさんへの面倒な根回しをしつつ、こういった仕事に関わっていく。確かに人間割り切れないことも多く、恥ずかしがりやゆえに誤解を招くこともあったようだが、この義理堅さと面倒見のよさ、自分だけが特に偉くなることに価値を見出さない態度は、なかなかできるものではない。
確かに著者の書くように、負けるを選び、その後もうまく立ち回るのがそれほどできなかった合理主義者の海舟は、福澤諭吉さんには見劣るかもしれない。しかし著者は、動乱のその場にいたものが、リアルに冷静に政治の場にあたる覚悟はそう持てないものだという。そしてそういう、自分の責任で受けてやる、という覚悟こそは、他の人には見えないのだというのもよくわかる。表立って華々しく動いていく人間もいれば、自分の歴史における役割を淡々とやっていく人間もいる。どちらが劣っているとかそういうことを言うのは野暮であるが、少なくとも表面上の威勢のよさとか、見かけだけで判断するのはやめたいな、とそんなことを考えさせられる本であった。
「氷川清話」などに載っている海舟の文章がおもしろいと聞いたことはあるが、かといって読みにくい文章をがんばって読む気にはなれないところ、この本はうまく文章を噛み砕いて読ませてくれる。その意味でもとても価値があったと思う。
この本に少々でも興味を抱いたかたは、ぜひ書店で阿川弘之さんの解説を読んでみて検討してみるといいと思う。著者のスタンスとこの本の面白さをすぱっと語ってくれていてこれがよい。