山本博文「江戸城の宮廷政治 (講談社学術文庫)」

徳川家の天下がほぼ定まる大阪の陣から、3代将軍家光の時代まで、大名の国替えが相次ぐなか、細川家がいかにして『外様大名の典型的な優等生(p166)』と呼ばれ熊本一国を任されるに至ったかを、細川家の父子の往復書簡から描き出していく。
出てくるのは、先ほど読んだ街道をゆくでも、大徳寺に高桐院という塔頭を建てた粋な武将として出てきた、茶人としても有名な細川忠興とその子である忠利である。

これからの生き残りのためには、いかに頼りになる人脈をつくっておくかが決定的に重要であり、その戦いの場は、戦場ではなく江戸城であった。(p49)

という時代に、居城である大分の中津と江戸を往復する父子は、手紙で他の大名の挙動や政治の状況について連絡をとりあう。そこには、幕府の偉い人へのライバル大名の見苦しいほどの取り入りようや、江戸で流れる政局に関する噂などが細かく記されていた。平和が訪れたとはいえ、常に警戒される外様大名として、その地位を保つのは緊張の連続であった様子がよくわかる。
お茶会を開きお偉方や仲間を呼んだり、披露する能の練習にはげんだり。交流関係を良く維持するその努力と心遣いのまめさは驚きである。外様としての自負を持つ百戦錬磨の父と、長い人質時代にみがかれたしたたかさを持つ息子。他の大名からのやっかみや風評を、知り合いへのこまめな(やりすぎと評する人もいるくらいの)相談やしっかりとした弁解、お偉方への手回しにより乗り切る様子が次々と紹介される。
そのもの覚えの良さで最終的に熊本の大大名へと上り詰める父子。現代にも通じる根回しと交流の術は、大組織で働く管理職の人などにも、これ以上なく面白く感じ取れるだろうと思う。
昔の文章が出てくるところもあるが必ず丁寧に意味を解説してくれることもあって実に読みやすく、一般向けの本を多くものしている著者の細やかさには脱帽である。
秘密の文章はなるべく自分で書くようにしていたとか、送る前に写しを取るとか、手紙をやり取りする際の神経の使い方の紹介も面白い。手紙の種類やその書き方、送り方の解説も、当時の様子を思い浮かべるのにとても役に立つものだ。お偉方から大名への手紙で、私信では「様」をつけ、公的文書では宛名は「殿」になる、など細かい知識も実に興味深い。
現代を生きるサラリーマンにもおすすめの、勉強になり面白い、ぜひ手にとってもらいたい一冊。