安西徹雄「英語の発想 (ちくま学芸文庫)」

英語を日本語に翻訳するときに感じる、大きなギャップ。これがどのような発想、どのような世界のとらえ方の違いによっているのか。実際の翻訳に関わってきた英文学者が、言語学の知見を参考にして考えていく一冊。
どの章でもまずは、英語を日本語に、日本語を英語に翻訳する実例をあげて考えていくので、実際に翻訳をする際のコツをたくさん目にすることができる。それは例えば、『英語は名詞中心、日本語は動詞中心(p48)』であるがゆえに、英語から日本語への翻訳では動詞を補い、「…すること」的な書き方にほどいてやるほうが自然になる、というコツであり、英語の受動態は日本語では能動態で訳してやると自然になることが多いという指摘である。
どれもなるほどと思うことが多いが、特に実感を伴ってこれはもっともだと思ったのが、英語特有の表現である無生物主語の構文を『ある物が原因としてあったために、その結果人間がなにかをせざるをえなくなった(p104)』という形に変えてやるとよいという結論だった。ここから著者は、英語は動作主である主語が、ある「もの」に「働きかけ」ある情況を作り出す、というように世界を『因果律的に解析して捉える(p105)』と述べる。逆に日本語では、英語で無生物主語であらわされている文でも、人間を主語に立てたほうが自然で読みやすいというのも納得である。
この、英語の「名詞を中心とした、動作主の働きかけによる情況の捉え方」、というキーワードはたいへんしっくりくるし、日本語との最も発想の違うところだろうと思った。日本語で考えたことを英語で書いていく際にも、このことを意識していくことがとても役に立つだろう。この考え方は、最近読んだこの本で得られる結論(「英語は能動態・無生物主語が多い」など)と大変似たところがあるという意味でも有益だった。
こうして仕事上で英語をどう扱っていくかをいつも考えていると、日本語が非論理的というわけではないが、こういう因果律に基づいた英語の考え方が、科学論文にはむしろしっくりくるように思えてならない。今は意識的に考えているが、普段からなるべく英語的発想で(動詞でなく名詞で書く、など)考えていくクセをつけることで、もっと英語らしい表現を自然に使えるようになるだろう。

このように普段から英語を使う必要があり、日本語との違いについて考えてしまう人にはこの本はたいへんお勧めできるし、いろいろ面白い示唆を得られる。

もう一つ個人的に面白いと思ったところを書いておく。
この本を読んでいる時にも感じた、日本語の助詞、特に「は」や「が」の曖昧さがなぜ生じるのかについて記述があったのは興味深く読んだ(第三章第三節)。それによると、英語では動作主である主語が文全体を統べるのに対して、日本語では述語から他の要素が出てくると考えるとわかりやすいのだという。確かに、日本語の「は」や「が」は英語に直すと主語にはならず、副詞節になることが多い。主語ですら、述語を修飾する要素に過ぎないと考えるのは意表をついていて面白い。

もう少し、英語と日本語についていろいろ読んでみて、普段科学論文を書く際の違和感だとか発見だとかについて考えてみたい。