米原万里「心臓に毛が生えている理由 (角川文庫)」

通訳・翻訳という言語を相手にする仕事ほど、文化の違いに敏感にならざるを得ないものはないだろう。
ロシア語の通訳者として世に出て、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」というぶったまげるほどの(ほんとうに、ほんとうに面白い)一冊を世に出した著者の、軽妙ながらも深い含蓄に富んだエッセイ集。惜しくも著者が亡くなった現在となっては、ぜひ一編ずつ味わいつつ読みたい、と思ったが、そのエピソードの面白さに手を止めることができない。さすがである。
ラガービール」に過剰反応し、寒い時期でも海に入って喜ぶロシア人の奇妙な習性について。チェロ奏者のロストロポーヴィッチが口癖のように覚えてしまった日本語とは。お見合いで出会った、理解しがたい研究者の生態。太っててキョーサントーの、誇れる父について。
どれもこれも、自然に笑いつつも、ふと背景に歴史の重みや文化の違いの難しさを感じてしまうところが何とも言えない。
この人の目にかかれば、ちょっとしたエピソードも裏にそういう深みのある背景を持ったものとして浮かんでくる。自分の仕事を大事にして、そこから感じられること、得られることの精一杯を、読者に向けて注いでいる感じがする。
さらさらっと感じたことを書いていくのとは違う、エッセイの醍醐味がここにある。誰にでも出来る技ではない。