司馬遼太郎「街道をゆく〈34〉大徳寺散歩、中津・宇佐のみち (朝日文芸文庫)」

歴史小説作家、司馬遼太郎の紀行文としてあまりに名高い「街道をゆく」。しかし、これまで新聞記事や学校の授業などで断片的にしか読んだことがなかった。京都へ行こうと思い立って、それを機に一冊購入。
読みたかったのは、前半の「大徳寺散歩」のパート。京都市内北部に立つ臨済宗大本山である大徳寺司馬遼太郎が歩く。
大徳寺が立っていた「紫野」という土地は、天皇が野遊びに出かけるような場所だったという。その後鎌倉時代末期に大燈国師大徳寺を開山するのだが、著者がこうした土地の背景、知名の由来からじっくりとしたペースで語り起こしてくれるのがいい気分である。
雑談をはさみながら、歴史上の勉強もしっかりさせてくれる。大徳寺応仁の乱で焼けて衰退していたのを秀吉が支援し再興されたこと。茶道とのつながりが深く千利休が参禅していたほかに、禅僧としても一休、沢庵を生んだ寺であること。特に人物にスポットをあてつつ、時代を少しずつ行ったりきたりしながら寺のことがわかってくる。もちろん歴史だけではない。著者が実際に訪れて、禅僧に会って話を聞いた感想からも、完全なる世俗化を拒む寺の雰囲気を伝えてくれる。
大徳寺には、およそ20の「塔頭(たっちゅう)」が存在しており、そのうち見学できるのは4つである。「塔頭」は聞きなれない言葉だったが、この本の解説でなるほどとその意味がとてもよくわかった。お勉強がてら、その部分を引用させてもらう。

塔についてふれる。禅のほうでは、その思想から塔はさほどに重視されず、どの大寺にも、五重塔や多宝塔などはない。
ところが”塔”ということばは、禅宗では多用される。臨済宗の各大本山のなかにある子院は”塔頭”と呼ばれるのである。
塔もないのに塔頭というのもおかしいが、この場合の”塔”とは墓碑のことである(卵塔・五輪塔などを思えばよい)。
高僧や施主の墓(塔)のほとりに庵をたて、亡き師に対し、生けるがごとくに仕えたことから、塔頭ということばができた。(p88)

なるほどわかりやすい。ほかにも禅についての話や言葉の意味の解説がはさまれ、以前「禅学入門」を読み抽象的に知っていた禅が、自分のなかで、一つの寺の歴史とともに具体的に立ち上がってきて、それがよかった。
実際にこれを読んだあと大徳寺を訪れてみたが、その荘厳さ、世俗を拒む感じ、そしてわずかに公開された塔頭においてはそれを建てた人物の美に対するセンスがとてもよく感じ取られて、いい空間だった。歩きながら、著者の語る大徳寺のはなしが頭に浮かんできて、それがまた旅の意味合いを増してくれた。
本書の後半は全国の八幡神社のふるさとである宇佐八幡と、福沢諭吉のふるさとである中津を歩く旅の記録である。こちらもまたエピソードに富み、読みながら旅に出たくなってしまった。本を読みなれていない人にはそこらの観光ガイドより骨がおれるかもしれないが、間違いなく、旅をより楽しいものにしてくれるシリーズであるだろう。
しかし、ひさびさに読むと、司馬遼太郎のはなしのなんと面白いことよ。縦横無尽とはこのこと。いくら歴史深い寺とはいえ、ここまでいろいろな要素や人の話をつめこんで、まったく飽きさせない。