湯川豊「須賀敦子を読む (新潮文庫)」

担当編集者が語る須賀敦子。彼女の回想風のエッセイはどれも、その美しい文章とはっとさせられる人間ドラマで何度読み返しても飽きない。
須賀敦子が多くの人に読まれる文章を書き始めたのは、彼女が50代半ばになってからである。自分で文章を書きたいと願い、その気持ちをずっと熟成させてきたものを、編集者である著者との協力により本の形にしていったものが、今私たちの目に触れている。担当編集者であった著者が、本ができるまでの舞台裏を書く気はないと述べているとおり、この本では、あくまで須賀敦子の本を読みそこから読み取れることを語っていく。元の本を読まなくてもいいや、という気分にさせるのではなく、実際に読んでみたい、と思わせるところはさすがに配慮が効いているし、安心して読める。
家族のことを、生々しくなりすぎずにいい距離感で書くスタンスとは、自分についてどう語っていくか…フィクションではないが小説的部分のあるエッセイは、その語り口のうまさとあいまって、多くの人々を惹きつけてやまない。この本では、自分で文章を書く際にも参考になる、彼女の魅力的な文章の書き方のスタンスが語られるとともに、書き始めてからわずか10年あまりの執筆期間に、その書き方や目指す方向が少しずつ変わっていたことが明らかにされる。

書きたいと思う気持ちをしっかり、自分で受け止めて大事にすること。そして、それを実行に移すために、どういうものを書きたいか、自分の気持ちをどう表現していくか、などのステップを一つずつ踏んでいくこと。書き始めてなお、自分の理想に向けて一作ずつスタイルを模索していったその姿は、本が書きたい人にとって、書ける、読まれる、状態となって終わりではないのだということを痛烈に感じさせられる。それはまるで、プロスポーツ選手がプロ契約をするところがゴールではないように。

岡崎京子「チワワちゃん (単行本コミックス)」

最近映画で話題をさらった岡崎京子の本のうち、何冊か有名なもので家になかったのを読んでみることに。まずはこれ。
どれも、女の子たちの刹那的な生き方と、満たされない毎日と、そんな彼女らにとっての幸せとは、といったことがクスッと笑わされるウィットとともに描かれていて、なんともいえない余韻を残す。
特に、「友だちと別れたことのある人に」と前置きのある表題作「チワワちゃん」が軽いトーンながらも考えさせられるところが重い。バラバラ殺人で殺されてしまった「チワワちゃん」を知る人々が、それぞれ彼女のいろいろな側面を語っていく映画のようなこの短編。
マンガなのだから重さとかなどいらない、というのもわかるが、この時代で自分として生きるってなんなんだ、だれも他人のことをちゃんとはわからないのに、自分が生きる意味ってなんなんだ、みたいな問いをさらっと投げかけてくる作品はやはり魅力がある。
24歳のときに亡くなった、明るい女友達のことを思い出した。結局、彼女の寂しさとかやりたかったこととか心の奥のことだって、ぼくらは誰もわかってなかったのだ。でも、そんなもんだ。そして、ちょっとやり過ぎかなと思っても、毎年彼女の不在を悼むことはやはりぼくらが生きていくには必要で。

「人はいろんなことがコワくて、それをコワくなくなるように、私はこれを描いた」とあとがきに書いた岡崎京子。彼女の心のなかにある、たくさんの問いとか闇とかが、彼女の作品を時代を超えて残るものにしているのかもしれない。

細将貴「右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 (フィールドの生物学)」

「フィールドの生物学」と名付けられたシリーズにふさわしく、フィールド感・現場感にあふれる生物学が展開されるわくわくする一冊であった。
分子生物学実験にやりがいを感じない学部生時代を過ごしていた著者は、旅行と生物が好きな若手研究者である。大学に入ってしばらくたってふと耳にした「カタツムリばかりを食べるヘビがいるらしい」という言葉から、大冒険が幕をあける。カタツムリの右巻き・左巻きの進化に興味があった著者は、沖縄には一般には珍しい左巻きのカタツムリが多数存在することを知り、「カタツムリばかりを食べるヘビ」は右巻きのカタツムリだけを食べる、「右利き」の捕食者なのではないかと考える…。
大げさな言葉だが、フィールドの生物学とは縁遠い自分(とたぶん多くの一般読者)から見ると、著者の、仮説を確かめるための道のりはまさに大冒険と言っていいだろう。標本調査からはじまり、学会に積極的に参加して関係のある研究者に突撃してきっかけをつかみ、そもそもほとんど見つかっていない幻のヘビを西表島で苦闘の末手に入れ、今度はカタツムリを揃えて、実験のための場所と装置は…とないものづくしの中を突き進んでいく著者の姿には、思わず応援したくなる熱意が文面からも感じられる。
ただ自分の冒険譚を熱く語るだけの本でないところがまた、すばらしい。「負の頻度依存選択」による左右非対称の生物の例を示す導入部の一章、実験の発端を述べ、実際にヘビの歯の数が左右で違っていることを見出し自分の仮説に自信をもつ二章と、章ごとのテンポの緩急も良く、わかりやすい。あまり生物学に詳しくなくても、次々と読めてしまう面白さがある。

タツムリとヘビ、双方の形態や生態に精通した著者は、まさしく、我らの世代の若きナチュラリストである。関連分野の紹介の役割も果たしているこの本で、動物生態学に興味を持つ人が増えることは間違いないだろう。
研究に関わる人には、やる気と熱意を注入してくれる本である。いろいろな人におすすめ。

相原孝夫「会社人生は「評判」で決まる 日経プレミアシリーズ」

個人の自立、組織からの独立、属さない生き方…そういうキーワードで仕事のしかたが語られることが多い近年、しかし、そうした本を読んでもピンと来ない人も少なくないはずである。この本は、そういう風潮に疑問を抱き、真っ正面から、組織で仕事をする人のありかたについて考える。

組織に属していながら、「組織人」を目指さないという風潮が見られるようになり、近年、その傾向がますます強まってきているようにさえ思われる。このことに対する危機感が、これまで述べてきたことのベースにある。置かれている環境と、目指している方向が乖離する状況にあり、企業と個人の双方にとって不幸な状態が続いている。現代は企業社会であり、それは今後しばらく変わりそうになく、多くの社会人は企業という組織に属して仕事をしていくことに変わりはない。(p209-210)

さて、組織で仕事をする場合、この本のタイトルどおり、「評価」(成績)がよくても意味がない、「評判」が良くなくてはだめなのだ。この「評判」を大事にする考えはまさに、梅田望夫さんの本で言われていたシリコンバレーでの習慣、「転職する際に、前の職場でチームのメンバーとして評価されていたかどうか、を考慮に入れる」という考え方と通底している。実際、この本でもヘッドハンターの考え方として『これまでの職場において周囲と良好な関係で働くことができていた人は、他社に勧めてもリスクが少ないことになる。(p64)』と書かれている。仕事の成績に関係してくるだけではなく、個人が幸せに仕事をできるかどうかも、周囲の評判がどうか、にかかっている。
この本では、著者がコンサルとして目にしたり耳にしたさまざまな例から、評判がいかに形成され、それが人事の決定に深く関わるかについて説得力をもって語られる。こうしたことを理不尽だ、実力だけで地位は決まるべきだ、と考えている人は、おそらく学生か、よほど実力主義の組織に勤めておられる偉い方か、どちらかだろう。そのくらい、この本は仕事をするうえで本質的なことを言っている。
一匹狼でも成績がよければいい、という個人主義的な雰囲気が行き過ぎてチームとしての力が発揮できなくなる状況は、チームに属する個人にとっても不幸である。それを解決するには、「「自らの評判を高めていく」ということに意識を向けていくこと(p161)」が重要であり、それは自分も周りも良くしていくこととつながっている。よりよい地位を得るための八方美人、とか媚びている、というのとは違う。心地よく組織で仕事をしていき、よりよい仕事をみんなと協力して成し遂げていくための「評判」。裏を返せば、それがある人は、より大きな立場から仕事ができると考えられてもおかしくない。実力があると思っている人ほどこれに無頓着だったりするが、それは、もっと面白く仕事ができるかもしれないのにもったいないことだ。

この本は、「評判」の大事さを語る本筋がしっかりしているだけでなく、実際にどのように仕事をしていくことで「評判」を高め面白く仕事ができるか、について書かれた細部もまた、秀逸である。評判のいい人の三つの代表例「他者への配慮」「実行力」「分相応であること」(p188)。そうあるにはどうすればいいのかについて考えさせるエピソード。仕事の意味を問い、直接的に自分に役立つものだけを得ていこうとする効率的な態度の問題点について。根回しの必殺フレーズ「ちょっと相談させてもらっていいですか?(p96)」など、どれもこれもまっとうで、かつすぐに自分に当てはめて考えてみたいことばかりだ。

今自分のいる大学という職場。若ければ若いほど、実力さえあれば、と思いがちだ。しかしそんな実力主義の場所ですら、意義のある、かつ大きな仕事をするには、他人への配慮をしつつ、それぞれの年齢や立場で本質的な役割を果たせるかどうか、仕事を実行力を持ってできるかどうか、という評判は絶対に無視できない。
この本が、より多くの人に読まれ、当たり前だよね、と言われる日が来ればと望まずにはいられない。

小林秀雄・岡潔「人間の建設 (新潮文庫)」

後輩に借りてさらっと読んだ。言わずとしれた小林秀雄と、大数学者岡潔による対談である。

むずかしければむずかしいほど面白いということは、だれにでもわかることですよ。そういう教育をしなければならないと僕は思う。(p11)

という小林秀雄のコメントからはじまるこの本。現在においても彼の『科学というものの性質をはっきりのみ込んでいないということで、これを認識させる教育をしなければいかんのです。(p66-67)』という指摘は完全には解決されてはいない気がする。科学とは、それを理解する人間とは…全編を通して強烈である。人間の、世界の知力が低下していると話す岡潔。そうなると、『物のほんとうのよさがわからなくなる。(p33)』『真善美を問題にしようとしてもできないから、すぐ実社会と結びつけて考える。(p33)』と舌鋒は鋭い。
しかし二人の見ているところは未来であり、現状の科学の問題点を打破して未来の人間社会をよりよく作っていくにはどうすればいいのか、ということを根底に、話は進んでいく。

この本で岡潔が『携わっている学者たちの感情がそれに同感する必要がある(p47)』と語っているのを見て、彼の言う「情緒」がなんとなく腑に落ちた。抽象的になりすぎず、人間の感情を納得させる科学をやること。科学がそれに立脚していること。当たり前のようで、こう言ってくれないと忘れがちな視点だ。少し実学と触れる分野にいるくらいでは彼の考える葛藤がわからない。思い切り抽象的な世界である数学をやっているからこそ、科学として成立するにはどういうことが必要か、などということを考えずにはいられないのだろうと思う。

とことん、「確信したことばかり(p110)」話す岡潔の話はまじめである。そのいっぽうで、小林秀雄の話の可笑しく、かつ奥深いことといったら。特に、彼の知り合いの骨董屋の作った味わい深い俳句の話は笑わずにはいられない。
いろいろと発見の多い対談である。

小松達也「英語で話すヒント――通訳者が教える上達法 (岩波新書)」

ひさびさに英語勉強本を。同時通訳の現場で活躍する著者が、我々はいかに日本語を生かしながら英語「で」話すべきか、についてアドバイスしてくれる一冊である。

相手に分かりやすく話すためには,まず頭の中で考えをまとめ整理することが大切です.そしてこの過程は,母国語である日本語でやった方が自然です.(「はじめに」vi)
頭の中で考えをまとめる時は,母国語である日本語でする方が自然であり楽です.そして日本語で考えることは,英語で話す上での障害にはなりません.(p79)

といったあたり、日ごろ考えていることととても合致しており、うなずきながら読んだ。同時通訳という、一度きりの切迫した現場で英語を使い仕事をしている人の実感がこうだ、ということは、勇気をもらえる気がする。
日本人は、英語で考えることができなければならない、という切迫感を持ちすぎる。この思い込みは根深いもので、科学論文を英語で書こうとする時に、日本語でまず筋をかっちり立てろ、というと、多くの自信のある学生はちょっと反発する。しかし、英語でいきなり破綻のない論理をかっちり立てるのは、最初はほとんど無理といっていいかもしれない。
昨年、台湾の大学の先生とお話をしたのだが、英語ぺらぺらに思える台湾の学生も、論文を書かせるとからっきし、だそうだ。英語を話せるからと言って、かっちりと論理の立った文を書けるとは限らない。このことは残念というより、我々に自信を与えてくれるものであるはずだ。
この本もまた、あくまで英語は道具であり、考えたり論理を立てる際には日本語で考えても、英語「で」話すことには何の障害もないと断言する。同時に、『情報伝達型の話し方は,ネイティブ・スピーカーにとっても自動的に身につくものではありません.p79』と述べる。英語を道具として考えるぶんには、日本人にもディスアドバンテージはあまりないのだ。

こうしたことを踏まえた上でのアドバイスの数々はとても役に立つものばかりだ。いくつかあげてみると…

言葉を通して何を伝えようとしているか,が重要です.そのためには,先にも述べたように,使われた全ての単語を聞き取る必要はありません.(p46)
ボキャブラリーについては,私たちはもっとレベルの高い単語を使った方が表現しやすいのです.(p77)
私たち外国語話者の場合も決して流暢である必要はありません.ゆっくりであっても,メッセージをはっきり伝えることが重要なのです.(p82)
一つ一つの発音を気にするより,文章全体のリズムに気を配って,できるだけ大きな声で(loud),はっきり(clear)話すことです.(p160)

道具としての外国語に、こうしなければ、こうでなければ上達しないという縛りを考えない方がいい。相手の言うことを理解し、こちらの言いたいことを理解させる、という目的さえ達成できればいいのだから。

吉澤大「儲かる会社にすぐ変わる! 社長の時間の使い方」

税理士・中小企業診断士などの資格を持ちコンサルティングを行っている著者が、儲かる会社にするために社長がどのように仕事をすべきか、についてアドバイスする一冊。『自らコントロールできる時間領域がはるかに大きい(p3)』社長だからこそできる仕事術があるという。確かに、それは会社や上司の都合にどうしても合わせる必要があるビジネスパーソンとは変わってくるだろう。
税理士らしく、固定費とか損益分岐点とか1時間あたりの稼ぎだとか、お金について考えながら効率の良い仕事のしかたを探っていくやりかたはとても理論的である。こうした議論から著者は、社長が時間を使うべき3つのこととして、以下のことを提唱する。

社長が費やすべきは「ビジネスモデルの考案・選択」「他人にやってもらうためのしくみ作り」「人脈形成と情報・知識習得」である。(p62)

一番最初の「ビジネスモデルの考案・選択」は、いかに効率よく、向かい合うべきビジネスを選択するかということであり、「イシューからはじめよ」で述べられている「解くべき問題を見きわめよ」という教えと似ている。最後の「人脈形成と情報・知識習得」にはあまり新しい考えはないように思えた。自分として発見があったのは、「他人にやってもらうためのしくみ作り」の章である。ここについて少し詳しく書き残しておく。
よく、マニュアルが大事であるとは聞くが、最近ことに、時間がないぞ、生産性をもっとあげないと、と考えているだけに、これこそ今やらねば、との思いを強くした。仕事は、ほんとうに突き詰めていくと難しいし自主性も工夫も必要だ。しかし、著者は『本気で労働生産性の向上を目指すのであれば、とりあえずマニュアルくらい作りましょう。それを飛ばしていきなり従業員が主体的に働いてくれることを期待してもむずかしいのではないでしょうか。(p107)』とびしっと一喝してくれる。その通りだ!
さらには、(1)マニュアルを作る側にも気づきがある、とか、(2)必要のない時点・余裕のあるうちにマニュアルを作っておき、忙しくなったときでも最小限の指導をすればいい環境をつくっておけ、とか、(3)成功体験をマニュアル化していずれは他人ができるようにするからこそ、労働生産性が上がって社長の給料も上がっていく、というそれぞれの指摘はごくごくもっともである。まさに、すぐにやらねば、と思い、ビジネス書を読んで珍しくすぐに実行に移しているところである。


トータルとして読んでみて感じたのが、効率を高めるのに大事にすべきことをひと言でまとめると、つまりは「余裕」なのかなということだ。時間にせよお金にせよ、余裕を確保したうえで、効率を高める方法を考える。そのためには、どうすれば一番余裕を増やせるか、自分の時給を計算しつつ、(おおむねトレードオフの関係にある)時間を使うかお金を使うか、どちらがより有利になるかを考える必要がある。少しずつ、余裕を増加させていく。正のスパイラルを作っていく。そのための、余裕のあるうちのマニュアル化だったり、いつでも使える資金だったり、あえて乗るタクシーなのである。

時間あたりのコストの安い、若い今のうちに、将来的に時間をうまくつかえる仕組みをじわじわと作っていきたい。そういうふうに、自分の時間の使い方を見つめ直すきっかけになった。