多田富雄「寡黙なる巨人 (集英社文庫)」

免疫学の世界的科学者として、また、能を舞い白洲正子さんと親交があった知識人として、多くの評論やエッセイなどで楽しませてくれた多田富雄先生。
晩年は脳梗塞を患い、闘病の末昨年惜しくも亡くなられてしまったが、このような迫力のある本を私たちに残してくれた。これは、読むべきだ。

脳梗塞がいかに人間の尊厳を奪ってしまう病気かということは、死ぬ前の15年近くずっと、車いすで一切話せなかった祖父を見ていたことから実感としてもわかっているつもりだ。リハビリをしても、すべての機能が全く元に戻ることなど望めない。誰かの助けなしでは、生きていくこともできない。本人が一番もどかしく、歯がゆく、生きていて良いのかとまで感じてしまいうることは、十分わかる。
しかし、そんな状況で、われわれに届くことばで一冊本を書いてしまったのが著者である。言葉を発することができなくても、リハビリの末キーボードに向かうことで、脳梗塞の経験が言葉としてここに残ったのである。これは、ありそうでほとんどなかったことなのではないかと思う。考える力が残されたこと、もともと著述に慣れていた人だったこと、周囲の助けがあったこともあるだろうが、これは極めて貴重な、脳梗塞を経た人の声だ。

麻痺とはどのように不便なものか、現在の医療におけるリハビリという分野の立場と現状、病院による待遇や診療体制の違い、社会の名声も肩書きも関係ないリハビリ専門病院での苦闘など…。通常は、声にならず、届けられもしない脳梗塞患者の思いが、多田先生のわかりやすい文章で実感をもって伝えられる。

手厳しいものの、リハビリに携わる療法士に高い専門性を求め、リハビリをきちんと受けられるような制度を求める患者としての声は、これまでにほとんど聞こえなかっただろう思いだけに、貴重だと思う。話せないからといって、感じていないわけではない。当たり前なことだが、普通に話せる人間が、その辛い思いを自分の身に置き換えてまで考えようとするのはとてもむずかしい。この本は、そのことをずばっと突いていて、いやでも考えさせられる。

一歩歩けたことの喜び、少しずつわいてくる希望を、本人が淡々と書いていることがなおさら、心を揺さぶる。
なにより、読み終わって感じるのは、よくわからないが、強烈な、生きることへの希望だ。これは、ぜひともとおすすめしたい一冊である。