藤原和博「父親になるということ (日経ビジネス人文庫)」

何となく手にした一冊。著者の本は読んだことがある。リクルートに勤めたあと、民間人として中学校の校長先生になった方である。

生活も仕事もちゃんとしたい、スケジュールをしっかり埋めてばりばり仕事をしたい。周りの人間にもそうしてほしいし、物事が先に進むようにできるだけおせっかいをやきたい…。仕事のできる人間の性というところもあるが、どこかで、仕事をしている人には誰にでもある部分であるのは確かだ。

しかしそういうスタンスは子育てにはとことん似合わない、ということが、海外での生活とともに子どもとより深く関わることになった著者にわかってくる。仕事をばりばり進めるなかで社会のペースに慣れてしまった人間が、親となったときに、おおらかな気持ちで子どもに接することがどれだけ難しいか。
著者が、父親としてそれをわかっていく過程。それを読みながら、自分の受けてきた教育とか、自分のこだわっているものもまた、あぶり出されてくる。

「早くしなさい!」と一日に三十回も説いて聞かせれば、必要以上に早くすることを疑いもなくやってくれる子を、自動的に育てていることになる。
だからこそ私にとっての父性とは、まず”自分がどんな呪縛を受けてきたか”に気づいたうえで、子どもをそれから”逃がしてやること”ではないかと思えたのだ。(p158)

いろいろと、読んでいて胸が痛い本である。上に書いたような父親の葛藤する気持ちも、この年齢だからなんとなくわかるわけだが、同時に、新しい環境でうまく回りに馴染めない、しかし親は心配させたくない子どもの気持ちも、転勤族だったせいか、思い出されてしまう。

この本を読んで今考えると、自分の親は、ぼくに「…であらねばならない」「ちゃんとしろ」みたいなことはほとんどいわなかった。兄として、弟のことはちゃんと考えてあげろ、そういう意味で自分勝手にはなるな、ということはしつこくいわれたが、それは「ちゃんとする」「社会に迷惑をかけない」という抽象的な話では全くなかった。

大人になってから、父親が、会社という組織で、どうすれば仕事が進められるかという人間関係、組織の論理と、個人がどうあるべきかについてなどをとてもよくわかっている、しっかりとした社会人であることがよくわかった。一方で、子どもには、大人になるまで、そういう自分がとらわれているものを見せたり押しつけたりはしなかった。彼もまた、この本の著者のように、どこかで気づいたのだろうか。それとも、最初からそうできたのだろうか。
逆に、まったくそういう他人への配慮を教えないと、気をつかえない人間になってしまう。そういう教えなければならない面と切り分けて子どもに教えるべきことを教えるのはとても難しいことのように、思えた。

もう一つ、父親に聞いてみたいことができた。