大原富枝「彼もまた神の愛でし子か―洲之内徹の生涯 (ウェッジ文庫)」

美術エッセイで名を馳せた洲之内徹という男の生涯を、彼の若き日からの文学の友人であった著者が描く評伝。
美術エッセイに足を踏み出す前の小説や、戦前の運動家・軍の班員としての活動、さらには周囲の人間との関係、特に『救いようのない地獄があった(p185)』とまで書かれる多彩な女性関係から、暗い影を抱えた男の姿が明らかになっていく。
帯には「光と影を…」とあるが、読後に残る印象は、自分を自分でえぐっていくような心の傷を持つ男の「影」のつよさだ。


美術エッセイで有名になるまで、洲之内徹が苦しい時期も書き続けた小説を文学仲間として目にし、彼の無責任ともおもえる女性関係についてさんざん聞かされてきた著者。その小説には戦前戦中の暗い心情が影を落としており、女性関係においては冷徹な性格が数々の葛藤を生んでいた。それらを読まされてもなお、著者はこの男をとても魅力的な人間として共感をもって描いており、その魅力はまたぼくも感じた。

あなたの眼は、美しいものをたくさん見て来ました。醜悪な限りのものもたくさん見て来ました。醜悪なものをあまりにたくさん見て来たからこそ、あなたはあんなに美しいものをみたがったのです。(p232)

こう書かれる洲之内徹を救ったのが、絵だと著者はいう。そうだとすると、実際に彼のエッセイを読んだことはないが、売れる絵ではなく自分が好きで手元に置きたい絵を求め、自分語りも含めつつエッセイを書いた気持ちはどこか切実にすら感じる。


少し前にも書いたが、人の心を不意に捉えるのは、できたものを見ると(聞くと、でも読むと、でもよいが)一見個人的感情と無縁なようでいて、どこかで表現者の切実さとか葛藤だとかが感じられてしまう、そういう表現なのかもしれないとおもう。きっと、彼のエッセイにはそういうものがあったのだ。
そういうものと向き合うと、いろいろ思うに任せない自分の周囲の日常が、いったん心から消える気がする。この本を読んでいても、そういう感じがあった。近くにいたら複雑な感情を抱くであろう一人の男の人生に没入できた時間を持てたのは幸せだった。