吉田篤弘「つむじ風食堂の夜 (ちくま文庫)」

手品師の父を持ち、急な階段の古アパートの屋根裏部屋に住まう作家。唐辛子やエスプレッソマシーンについて軽く、『楽しい感じ』の読み物を書いて生計を立てている彼が通う食堂には、不思議な街の住人たちが毎晩集う。
記憶の中にある父親の像。それと比べても、なかなか自信を持って生きていけない自分。それでもなお、これで良いのだと自分を肯定して前に進めるか?という問いかけは、ぼくを含めてある年代の大人にとっては、とても身につまされるものだ。この本を読んでいると、自信というのは自分の中からだけ出てくるのではなくて、いろいろな生き方を志向する周りの人たちと接して、彼ら彼女らとの関係で少しずつ栄養をもらって芽生えてくるものかもしれないな、と感じた。主人公がふとした偶然で出会う、ある同年代の人が語る次のセリフなんかは何とも言えずに良い。

「親父が死んだとき、なんとなく取り残されたような気がしたんです。まだいろんなことを教わっている最中だったんで。でも、親父、よく言ってました。もし、電車に乗り遅れて、ひとり駅に取り残されたとしても、まぁ、あわてるなと。黙って待っていれば、次の電車の一番乗りになれるからって」(p147)

欲を言えば、もう少しこの小説の雰囲気に浸っていたかった。読みやすい分量ではあるが、食堂に現れるメンバーたちのキャラクターの立ち方を考えると、もう五割増くらいの分量でじっくり読ませてもらってもよかった。逆に言えば、読み終わるのがもったいなかった。