佐野眞一「渋沢家三代 (文春新書)」

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三」に引き続いて、同じ著者が渋沢家の三代の生き生きとした姿を伝える評伝。
日本の資本主義の父とも言える栄一、遊びに生涯を捧げた息子の篤二、宮本常一民俗学者を支援し戦後は『にこやかな没落』を選んだ孫の敬三。敬三については「旅する巨人」に詳しく、この本での主役はやはり渋沢栄一である。
江戸時代末期に生まれ、攘夷論者から一橋家の家臣への転身、フランス留学、大蔵省勤めと民間への転身、さらに三菱を立ち上げた岩崎弥太郎との争い…。そのマメさを存分に発揮して数多くの妾を囲い数多くの子どもを生んだすえ、91歳で大往生。さすがに波瀾万丈、普通にやったことを追っていくだけでも面白い人生なうえに、明治維新を乗り越えた人だけあってその行動も言葉も破格の面白さであるが、この本はそういう部分だけを無難に並べて話を進めたりはしない。
タイトルの「三代」にもあるように、この「巨人」とも言える栄一の怒濤の生涯を追うとともに著者は、それが息子、孫と渋沢家全体に及ぼした大きな影響を描き出していく。豊かな暮らしをしていた田舎の本家とのしがらみを絶ち、東京で新しい渋沢家を立ち上げていこうとした栄一。彼がなした子たちと、その婿も含めた大きな家族関係、そのような中で生まれた息子や孫への影響。資本主義を日本に根付かせた立役者としての確固とした哲学、それゆえに子や孫に与えられる大きなプレッシャー。
そうした影響の下で民俗学に打ち込んだ敬三を、プレッシャーの多い人生から逃げるために美しい歌が生まれたのだ、とする太宰治の書いた右大臣実朝になぞらえたくだりには考えさせられた。栄一からの流れと家族のありかたをつぶさに明らかにしてきたからこそ感じる、そのなぞらえかたのぴったりさと、そうした人生を堂々と生きた敬三の姿がそこにある。

敬三にとって民俗学とは、そして学問発展へのパトロネージュ精神とは、いうなれば実朝における歌だった。
知人から「先生の人格は宗教によるものですか」と聞かれたとき、敬三は即座に答えた。
「いいえ、そうではありません。親戚ですよ。親戚ほど嫌なものはありません」(p242)

せいぜい冠婚葬祭のときに面倒だなと思うくらいで、家や親戚というしばりなどほとんど感じることなく、自分の自由に生きられるのだと思っている我々の世代(とひとまとめにするのはよくないかもしれないが、とりあえず自分)にとっては、偉大な先人を持つことのプレッシャーと自分の人生が制約を受ける感じは想像しがたい。逆に、そうした制約こそが人間を作ることもあるのだなと思うと、そうした家に生まれたことを受け入れ、自らを作っていく人には畏敬の念すら感じる。
そう感じたからこそ、三菱財閥の岩崎家や、今話題の鳩山家と渋沢家を比較したくだりなどは、特に興味深く読んだし、考えさせられることが多かった。世代は変わっても受け継がれていく、それぞれ違う「家」のカラーというものが確かにある。この本を読んだ自分は、アカデミックな部分をもち、どこか初代の哲学をくんでいる渋沢家に思い入れを抱いてしまう。
読む人によって、いろいろなことを感じさせられるだろう一冊。