鴻上尚史「「空気」と「世間」 (講談社現代新書)」

著名な演出家であり、演劇を長くやってきた観点から「あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント」や「孤独と不安のレッスン」などの本で、身体や言葉の使いかた、他人とのコミュニケーションのとりかたについて優しく読者にアドバイスしてくれた著者。
最近読んだところでは「俳優になりたいあなたへ」で演技とは何をすることか、俳優とはどのような仕事か、について書かれていたのがとても面白かった。
今回の本は、「空気を読め」とあちこちで言われるこの日本で心地よく生きていくにはどうしたらいいか、を主に中高生あたりを想定読者として考えていこうという一冊。
とはいってもこういうことを扱う本によくありがちな、適当に書き散らしたような本ではない。「空気」と「世間」のそれぞれについて、山本七平阿部謹也という偉大な先人たちが書いていることのエッセンスをしっかり紹介。そのうえで、「読め」と言われる「空気」は、長幼の序や贈与・報酬の関係などのルールによって成り立っている「世間」が流動化した、そのルールのいくつかが欠けた状態である、と提唱する。
古き良き農村みたいなものを想起してみればわかるが、「世間」は弱い個人を支えてくれるものでもあった。しかし、グローバル化によって中途半端に壊れた「世間」にかわって自分を支えてくれるものを求めてしまう結果が「空気」の蔓延だと著者は言う。
一方で、ネット上でよくあるように正論・原理を振りかざし、抑圧的に働くこの「空気」に過剰におびえてしまったり、またそれにうんざりする人びとも増えている。まことに、社会人にとっても、また若い世代にとってはなおさら、生きづらい時代だと思われるのも無理はない。

著者の問題意識は一貫している。『できることなら、同一性を信じるより、多様性を喜ぶことで、なんとか、このやっかいで、苦しい世界を生き延びたいと思うのです。(p191)』という言葉にその考えはよく表れている。支えがなければ生きられないほど人は弱い。でも、同一性をもとにした支えは息苦しく抑圧的だ。ではどうすれば?
神が支えになっている社会とは別な困難がここにはあり、しかしこれは日本人が率先して立ち向かわねばならない苦しい旅なのである、と著者は書く。
著者も書くとおり、何を支えに選んでもメリットとデメリットがある。全てがうまくいく解決策はなく、だからこそ少しでもいい方法をと模索することが面白いのである。僕はこの著者の考えにとても納得がいくし、どうやっても苦しい人生を生きていくのが面白いのだと思っている。
しかし、なんだかんだ言って、何を選んでも大変だし、結局苦しいなかから選択して覚悟を決めてやっていくしかない、ということを人はあまり信じたくないのだろう。そう実感することはたびたびあるし、あたかも一番いい方法が一つだけあるかのような言い方はどこにでもある。でも、それを信じている限りはどこかに不満を持ちながら、ネガティブな方向ばかりに頭が行ってしまう。
この本ではゆるやかに、複数の共同体とつながることなど、著者らしい親切さで非常に具体的な生き方の方法がいくつか示されているが、それを生かせるかどうかも、安直な解決などないのだという覚悟を持てるかどうかにかかっている気がする。