中谷宇吉郎「科学の方法 (岩波新書 青版 313)」

雪の結晶の研究で有名な寺田寅彦の弟子、中谷先生の科学論。1958年発行であるために確かに例などは古いところもあるが、科学というものの方法や考え方、さらにその限界に関しては、とてもまっとうな、納得のいくところを書いてある本。海外でも日本で他にもさまざまな科学論に関する本は出ているだろうが、数学についてや理論について、実験についてなどさまざまな側面からの科学についてコンパクトに読みやすくまとめられたこの本の価値はなかなか減ずるものではないだろう。
間違いを承知でざっくり書くと、科学でわかることとは、自然のなかから人間が分析しやすい部分を選んで研究し、統計などの手法を用いて説明しやすい部分を提示している結果に過ぎないのだということだ。これだけ科学が進んでも、わからないことはわからない。また、統計的に見ていくと、どうしても誤差はある。僕は特に疑問を持たずに読んだが、この考えについては、発行されてから半世紀をへた今でも、大多数の人がすんなり納得するとはいいがたい状況にあるのだろうなと思う。
この本の中で著者が何度か挙げている例に、人の寿命は統計的にはわかるものの、ある一人が早世してしまう可能性などについては科学者は何も言えないのだ、ということがある。無駄を承知で他の例を出すなら、飛行機は基本的には安全だが、大事故を起こす際に乗り合わせてしまう可能性はゼロではない、とかいろいろ言えるだろう。
しかし、悲しいかな人間は自分や自分の大切な人に、その「誤差」ともいえる稀な不幸が降り掛かってきたときに、「これは医者が悪い」とか「これは科学が悪い」とか考えてしまいたくなる。もちろんそういうミスによるものもあるだろうが、ごくごく稀な症例で手の施し様がない場合というのもある。しかし、冷静にその降ってきた不幸を受け止められないのが人間だ。
どんなに子どもなどに科学の面白さを伝えたところで、科学者を増やしたところで、こういう、誤って何かを科学のせいにしたり過度の期待を寄せてしまったりする傾向はなかなか減らないだろうと思う。そういったことを本当にわかってもらうには、科学はすごいですよー、というところばかり見せてはいけないのかもしれない。科学者こそ、「わからないことはわからない」と素直に言って、それが科学が方法論上抱えているしょうがない(という言い方はよくないかもしれないが)ことなのだ、ということをきちんと伝えていくべきなのかなと思う。
そういうことを、素直に、しかし確実でわかりやすく語る著者の言葉は、さすがとしか言いようがない。それでいて、最後に、限界もあるからこそ科学は面白いし、まだまだやる価値があるのである、ということを希望を持って書かれている。限界を示されたからこそ分かるその価値。ある意味、少し感激してしまう。

今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして、科学に新分野を拓いてきたのである。科学は、自然と人間との協同作品であるならば、これは永久に変貌しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。(p202)