中沢新一「森のバロック (講談社学術文庫)」

明治から昭和にかけて、世界を飛び回ったのち、和歌山の森で生物学や民俗学について深く独自の思索を繰り広げた南方熊楠。彼の生きた19世紀末から20世紀初頭の学問の潮流を解説しつつ、彼の学問の先端性を示す。人との接触が少なかった彼だからこそ見通せた学問のあり方とは。
面白かった。学問とはこんなに自由でもいいものなのか、という驚き。この本の題材としての南方熊楠の自由さは言うまでもなく、著者がまた実に自由に南方熊楠に関しての考えを展開していることがよく分かる。その自由さは、ちまちまと細かい論文を書いている自分の凝り固まった頭をほぐしてくれる。
しかし一方で、やはり難しかった。
この実に優しいテレビ向けの本や「僕の叔父さん網野善彦」を読んではいたが、それらとはわけが違う難しさ。
もっと前だったら、自分の脳が追いついていないだけだろうと考えることもあったと思うが、さすがにこれは必要以上に難しく書いているようところがあるようにも思われた。違う言い方をすれば、『考えるな、感じるんだ』というようなところすらある本もしれない。しかし面白かったのは確かなので、ぜひ、この本をきっかけとして生み出されたといわれる著者の学問の展開を今後少しでも読んでみたい。
それにしても、自由であり、ある意味捉えどころのない文章の難解さに、文系的な背景がない自分はたいへん苦しんだが、逆に考えれば、特にここ100年に展開してきた現代の学問が難解なのであり、生きているもののありかたを自然から掴もうとした熊楠の考え方はシンプルそのものだったのではないか。
例えば、後半で出てくる、熊楠が繰り広げた神社合祀反対運動に関する議論はこの本の中では最もわかりやすく、彼のエコロジー思想を解き明かしている。実践的で訴えが分かりやすいこの部分に比べた他の章の難しさは、明確なモデルを残さなかった熊楠の学問の捉えどころのなさによっているのかもしれない。その縦横無尽な思想の跡は、逆説的に現代の時代の学問の難しさと狭さを浮かびあがらせている。
南方熊楠については、鶴見和子さんの本を読んだときの感想に述べているので、ぜひそちらも見てやってください。こちらの本のほうが先に出ており、論理がはっきりしていて分かりやすい。この中沢新一さんの本を読む前に読んでおくにはとてもよいので、興味を持った方はそちらを先にお勧めしたい。
鶴見和子「南方熊楠 地球志向の比較学 (講談社学術文庫)」 - 千早振る日々