森史朗「松本清張への召集令状 (文春新書 624)」

死してなお、その原作のドラマ化が絶えない松本清張。その担当編集者をやっていた著者が綴る、権力を嫌った孤高の大作家のルーツ。
彼の作品はまったく読んだことがないのだが、この本はその魅力を押し付けがましくなく、しかし存分に伝えてくれた。
さまざまなアイディアで読む人にとって面白い小説をただ探求し続け、精力的に取材してたくさんの作品を残した『清張さん』。そんな彼は、筆一本で東京に出てくる前、版下職人として窮乏生活から身を起こした。そんな30代半ば、中年にさしかかった松本清張に、一枚の召集令状が届く。もっと若いものもいるはずなのに、なぜだ…。家族と離れて無為な数年を過ごす虚しさを感じつつも、たくさんの家族も抱えていた自分に赤紙が届いたことに対する違和感と意図的な力の存在を、将来の大作家はこのときから決して忘れることはなかった。
そして戦後、己を語ることの少なかった松本清張が自分の境遇を描いたとも言える、軍隊生活に材をとったミステリーが発表される。編集者であった著者は、そこに作家の激しい憤りと実態究明への強い意志を感じ取る…。戦争と国家権力への怒りが、大声ではなく静かに伝わってくるところがとてもよい。
この本はまた、作家がどのように編集者と話したり、ヒントを得たりして、自分の経験や社会の状況を自分のオリジナルな作品として昇華させていくのか、その過程が垣間見えるところも実に興味をそそっておもしろかった。実際に編集者と取材に行ったときのできごとや風景が小説に取り入れられていくさまなどは、今後社会派の小説を読むときに、どうやって取材したのかな、などと考えてしまいそうだ。
こうした、少々タイトル(本筋)と離れた、回り道とも思えるような松本清張との話のなかに、作家の仕事論が織り交ぜられていて、これがまた、自分で何かを生み出そうとする仕事をしているものにとって刺激的だ。少し偉くなると「書きたくないんです」とかいって書かなくなる作家に対する皮肉や、ある時期には多くの作品を生み出すことがとても重要だ、という後輩の作家へのアドバイスなどは、ついつい「こんなものでいいか」と思ってしまう、締め切りのない仕事をやっているものの心にぐさっと刺さる。
権威によりかからないで、常に反発心を持つこと。偉くなったことにあぐらをかく暇があるなら、常に新しいものに情熱を持って、自分の手と足を動かして仕事をすること。そして苦労している後輩には心優しく励ます先輩であること。
いろいろなことを学べる一冊でもある。また、ミステリーというものの力も改めて感じさせられる。

松本清張はかつて、現代のような複雑な世相にあっては、推理小説的な手法を用いることによって「はじめて本当の意味での無気味さ、恐ろしさが描けるのではないか」と、何度か語ってくれたことがある。(p248)

わかる気がする。そして、この本を読むとそう言った『清張さん』の心にある譲れない気持ちが伝わってくる。面白かった。