関川夏央「現代短歌 そのこころみ (集英社文庫)」

たまには毛色の違うものを読んでみたくなり、現代短歌の歴史をさまざまな歌人の歌とともに紹介するこの一冊を選んだ。
さすがにその名前は教科書にも載っていた気がする斎藤茂吉の亡くなった一九五三年、その翌年の寺山修司中城ふみ子の出現からの五十年。『手間はかかったがおもしろい仕事(文庫版のためのあとがきより)』を我々にしてくれたのは、『坊ちゃんの時代』(絵は『孤独のグルメ』の谷口ジローさんである)で明治の文学者の新たな一面を見せてくれて、『本よみの虫干し―日本の近代文学再読 (岩波新書)』で岡崎京子を教えてくれた関川夏央さん。この方の、作品や人を紹介するやりかたは、過剰に走らず、でも書いた人がおもしろいと思っているのがわかるもので、そのあんばいがとてもよい。門外漢であり短歌は人が歌ったのを読むばかりだ、と謙虚に書きながらも存分に並べられた歌と紹介する文章は、特に専門的に短歌を知っているわけではない読者には十分すぎるほど親切で、いろいろ読んでみたくなる気持ちにさせてくれるには十分だ。
虚構とも取れる寺山修司の歌。数多く歌われた青春短歌に見出せる未完の人生のはかなさ。安保の時代に歌われた、若者の自己意識から出てきた短歌の稚拙。新聞歌壇に見られる、新聞の論調をなぞるような歌たち。一方で、実体験に基づく戦争の歌の迫力。教科書に載っているようなものばかりでなく、無名の人がさまざまなその人生の状況から歌ったものも合わせてみていくことで、誰にでもできそうだが実にその人の意識や生きてきた道を如実に表わしてしまう短歌の本質がはっきり見えてくる。
人をうち後世に残る歌をつむぐのは実に難しい。一つ言えるかもしれないのは、下のマンガで描かれている石川啄木のように、歌はその生活の中で身体からやむを得ず出てきてしまったようなのが一番真に迫っているということだ。
読んでいてもまぶしく、身に迫る歌は、主にその作者が青春時代に歌ったものだ。教科書に載っている歌の中でも心に残ったのは、自分に近い年齢に読まれた歌だったと思う。このような、自分の意識と他人の目がせめぎあう青春時代に生まれる歌の輝きがたくさん紹介され、

短歌が「青春」をえがくのに長け、多くが第一歌集を最良としがちなのは、短歌というジャンルの宿命かも知れない。(p90)

と著者が述べるのを読むにつれ、若くして一つの仕事を成し遂げ、高みに達したものがそれをどう抱えて生きるか、どう老いていくか、という芸術家の困難をひしひしと感じる。
思い出すのは、高校のときの習字の先生だ。寺山修司と同郷で、彼に前文を書いてもらって歌集を出したことがあるとおっしゃっていたのが記憶に残っている。実際に見せてもらったが、それについてふと話しているときの彼の顔は青春時代に戻ったようだった。あまり多く話す機会がなかったのが今となるともったいないが、そのときは意識にも上がらなかった、記憶にも残らなかったようなことを彼は青春の真っ只中にある高校生に伝えようとしてくれていたのではないかとふと思われたのである。
歌と、それを歌った人の人生の光芒が胸に残る。お気に入りの歌に付箋紙をつけて、何度も読み返したくなる一冊。