辰野和男「文章のみがき方 (岩波新書)」

文章を書くことについての本は数あれど、この本はそうした文章論から離れて、そのものとしてもとても面白く読めた。
本文は四章構成になっている。一つ一つの文章は、文章の達人である作家たちの文章論の引用をきっかけにしており、原書にあたってみたくなる一冊となっている。別の本を読みたくなる本は大好きだ。

I  基本的なことを、いくつか
II  さあ、書こう
III 推敲する
IV 文章修業のために

Iは、文章を書く気が増し、もっとうまく書きたいという動機付けを与えてくれる。
IIは、書く前や、書いている折々に見直したい、書く際の心構えを伝授。
IIIは、推敲のテクニックと心構え。
IVは、よりよい文章をかくためにいかなることを考えてみたいか、という応用編として読める。
特にIIIが実践的でためになった。毎日毎日推敲に推敲を重ねて字数制限のある文章を仕上げてきた著者ならではの推敲テクニック。読んでもすぐにできるわけではないだろうし、これを見直しながら推敲をするというわけにもいかないだろうが、見直しながら推敲の仕方を身体に染み込ませたい。このIIIの序盤だけでも読む価値がある。
本全体を通して、安易な言葉でなく、自分で掴み取る言葉、それがいい文章であり、それを書くのは実に困難な道のりである、というスタンスが感じ取られて、背筋が伸びる思いだ。
自分がいかに紋切り型の言葉を安易に用いてしまうか、下手な文章を書いてしまうか、それをいまさらながら自覚させられてしまう。後輩の文章を見たりしているうちに、少しでも、自分は文章を書けるほうなのではないか、などということが心に浮かんでしまっていた自分が恥ずかしい。
しかし、著者はまた、そこからはじめるべきなのだ、という。自分に引け目を感じるところがはじまりなのだと。三島由紀夫向田邦子ですら、自分の文章に不満と引け目を感じていたという事実は、凡人である我々こそ、自分の文章への不満をエネルギーとして少しづつl向上を試みるしかないのだ、ということを意識させてくれる。

三島たちの不満やらひけ目やらは、己をさらに高いところにかりたてるエネルギーを生んでいるのではないか。そのことを思えば、自分の文章を読み直して「なんて下手くそなんだろう」と思うのはそう悪いことではない。いや、よりよい文章を書くためにはむしろ必要なことなのだ、とも思います。(p216)

誰しも自分がかわいいから、人に文章を見せるときは、それなりに書けていると思うものだろう。しかし、それをずたずたにされてはじめて、いかに読みにくかったり、陳腐な表現で文章を書いているのかが自覚される。本当ならば、人に読んでもらう前に自分でそのように自覚して、推敲するなり改善を試みるべきなのだ。むしろ、自分の文章の下手なところをとことん自覚できる人こそが文章が上手いといわれる人なのかもしれない。
この本に書いてあることを全て真似する必要はないし、心がける必要もない。きっと大事なのは、日々文章の力を高めていくのは長い長い自分と向き合う時間であり、それはすぐにでもはじめられることなのだ、ということに気づくことなのだ。
もちろん、文章を書く時間には制限がある。だからこそ、少しづつでいいから、自分を磨いていく心意気を持っていたいと思う。