福岡伸一「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」

もう牛を食べても安心か (文春新書)」など、狂牛病関係で本を多く出していた著者が真正面から生命の謎に迫る一冊を世に問うた。「プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー (ブルーバックス)」では、プリオン説を唱えてプルシナーがノーベル賞をもらうまでを実に面白く書いていた。提唱している内容については保留するとしても何が問題点なのか、やノーベル賞の裏側が実に面白く読めたのを覚えている。本書では、よりストレートに、生命科学のメインストリームを築いた人々の発見やサイドストーリーを魅力的に描いている。
遺伝子の発見から、DNAの二重らせん構造の提唱まで、さまざまな研究者が悩み考え研究に没頭するさまは、当事者をはじめとして、さまざまな人が書いてきた。いまや参考書にも紹介されるほど、生物を勉強している人には知られた話も多い。しかしこの著者が書く話にはまたそれらのどれとも違う生き生きした実感、著者の言う『質感』(p55)、がある。実際に偉大な発見をした人物が研究していた研究所に著者が足を踏み入れて感じた歴史。そして同じく生命を研究するものとしての、先人たちへの共感。そしてそれらを感情的になりすぎず綴る文章。これゆえに、生物を専門とする人にとっても、また生命科学を知らない人にも十分楽しめる一冊となっている。
後半では、こうした前半における生命理解を下敷きとして、自分の関わった研究の内容がわかりやすく紹介される。そして、ジグソーパズルの例えに示されるような、『かたちの相補性』に基づいた相互作用こそが生命なのだという考えが披露される。わかりやすく書けば、生命とは、一つ二つのピースが欠けると完成しなくなるようなパズルではない。よりダイナミックなものなのだ。ピースが一つ外れても周りのピースがそれを補い、あるいは新たに似た形の物が作られ、全体として見るとほぼ同じだが微妙に異なる図柄を作れるようなパズルなのである、と著者は主張する。…こう私が書いてみてもわかりにくいが、本書を順に読むとそう難しくは感じない。専門家には、一読そういうことが言いたいのね、とわかるような考え方だが、その考え方をここまでわかりやすく驚きに満ちて伝えられる筆力はうらやましくなる。生命の適応性、復元性に対する驚き。それを自分の研究生活、小さいころの体験、などと結びつけて語る流れるような構成は読者を最後まであきさせない。生物学などまったく興味がなかった、とか、文学ならよく読むが、という人にこそお勧めしたい。
著者は遺伝子を扱うような最先端よりの研究に携わりその面白さを伝えてくれている。これを読んだ方はぜひ、私が昨年はまったもう一人の研究者の本も読んでみていただきたい。より生き物に直に接し、その質感を伝えている『解剖男 (講談社現代新書)』の遠藤秀紀さんの本は、文体も内容もまるで違うが、伝わってくる研究の手触り、研究への熱は共通している。あわせてどうぞ。

人体 失敗の進化史 (光文社新書)

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