猪瀬直樹「ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)」

こころの王国』『マガジン青春譜』と読んできて、文庫になったこの作品に手を伸ばす。
『死のうとした』太宰治という一般に考えられている像を180度ひっくり返し、『生きようとした』太宰治を描いた評伝。
まだ何者にもなっていない若者にとって、この本を太宰治に共感して読んでいくことは、身を切るように痛い。金持ちの家に生まれながら、浪費癖がやまず仕送りを使い尽くし、何者にもなれていない自分をどうにか世間に売り込み『サバイバル』しようともがく。自分を大きく見せようと虚言を吐き、自分を押し上げるための賞をもらうために各方面に泣きつく。プロレタリア文学が流行ればその流行に乗ろうとし、その後は自分の体験を書いて読者を得ようとした。
その末に、その場をしのぐ手段としての自殺未遂。不謹慎だが、こうまでして生きていく太宰治像はこれまで自分が考えていた以上に魅力的に思えて、薄くない本だが一気に読めた。

サバイバルは確かに大変だ。この本では、太宰治は『善く生きよう』となんてこれっぽっちも考えていない。しかも、食うことに困らないだけの恵まれた家に生まれながら。それでも、生きているうちには輝かしいほどの成功とまではいかなかった。
真っ正直すぎて生き残れないのも困る。でも、生き残るやり方がまずすぎてもいけない。結局のところ、結論は落ち着くべきところに落ち着く。生きながら成功できるのは、他人を陥れたりするのが平気でありながら、それを隠れてできる、もしくはそれを無神経のうちにできる、そして何をしたところで、自分を善人であるかのように周りの人に見せられる人なのだ。井伏鱒二はまさにそのように描かれている。生き方が不器用な人はやはり、世の中は生きづらい場所だろう。
それにしても3冊読んで思うのは菊池寛の存在の大きさ。さんざん苦しんだ太宰治だが、それでも彼が生きている時代にはすでに文芸誌というのがあり、それなりに仕事を融通し合うシステムができあがっていて、彼もまたその御利益にあずかっていた。菊池寛は、儲からない作家という職業を、文芸春秋という互助組織を作り仕事を分配し合うことで、みごとに世間的に暮らしていけるだけの職業に変えてみせた。サバイバルできるかどうかは個人の才能によるのはもちろんだが、それでも幸不幸はある。ある分野が成熟していくには、そうしたリスクを減らすべく、分野全体の底上げを(私欲なしで)目指そうとする人間がやはり必要なのだ。
そんな文学という分野の勃興期に、必死に身を立てようと駆け抜けた一人の青年の生涯。見いだした材料をどのようにして一つの小説に仕上げていくのか、その工夫なども含めて面白い。小説のもととした日記や伝説に、どういった物語を新たに書き込むことで名作が生まれたのか。もちろんだからこそ、太宰治をもう一度一通り読んでみたくさせる一冊でもある。