岩田正美「現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)」

「格差」について取り上げられるようになってからずいぶん経つ。しかし、「格差」という言葉はあまりにあいまいで、どこからが自己責任でどこからが解消せねばならないのか、また具体的にどのような施策をとるべきか、はなかなかはっきりした形をとってこない。
著者は、格差社会という言葉の流行以前から、貧困についての研究を着実に積み重ねてこられた方のようである。昔から、貧困問題はあった。ないようにすら思えるのは、一億総中流と呼ばれる社会において、ないことにされてきた、見えなくされてきただけである、そう著者は述べる。
著者は、「格差」が「『ある状態』を示す、記述的な言葉(p28)」であるのに対し、「貧困」は、「『社会にとって容認できない』とか『あってはならない』という価値判断を含む言葉(p29)」であるという。であるから、「貧困」を「発見する」ことによって、それを「なくすべきだ」という判断をすることができるのだと。こうした考えは次の箇所にまとめられるだろう。

格差論だけからは、積極的な解決策も、あるべき社会論も出てきにくい。格差論の延長で「あってはならない」貧困を「再発見」していくことは、格差がある、格差があって何が悪い、というような議論を断ち切って、格差社会の中で何を改善すべきか、私たちの社会をどのように変えていくことが望ましいか、という価値と責務(権利)の問題を我々に積極的に投げかけることになる。(p29-30)

これは案外これまでなかったアプローチなのではなかろうか。少なくとも私にはとても真新しかった。実際、この考えのもと、この本では貧困から格差に迫っていく。
前半で、貧困とは何か、という定義づけ、そのライン引きの問題などに触れられる。最も分かりやすい貧困のラインである生活保護のライン設定を述べた後、生活保護を利用しない(ラインの関係でできない)が貧困であると言える人々が存在していることを、さまざまな調査から明らかにしていく。
生活保護まではいかない人々に対して、日本には年金や健康保険、雇用保険などさまざまな福祉制度がある。しかし、これも正規社員である人間には有利だが、非正規雇用の人間にとっては、保険料の支払いは大きな負担であり、また保険料を切れ切れに払わざるを得ず給付金が少なくなってしまうために、不利に働いてしまうと著者は指摘する。つまり、『社会保険生活保護の谷間』で不利な扱いを受けている人々が多くいるのである。
このことは、非正規雇用で働く人々をたくさん知っており、また自分もそうである人間にとって、非常に実感に合ったものだ。貯金もできない、結婚も苦しい。こうした『谷間』の人間が人並みの生活を遅れるようにするのを助けるために、福祉はあるべきでないのか。著者は、生活保護に含まれる住宅扶助や生活扶助をばらしてその給付ラインを上げていけばいいのではないか、と具体策を述べており、積極的な優遇策を講じるべきだと主張している。予算的な裏付けなどは置いておくとして、この本において、資料や調査から明らかにされた現代の貧困の現状を読むと、著者の述べる優遇策もありかもしれない、と考える読者も多いだろうと思われる。
また、貧困がどのような人々の状況と結びついているのか、について触れられた箇所も興味深かった。具体的には『低学歴』『独身、離婚』『離職、転職』の3つが貧困と強く結びつきやすい、と結論付けられている。それらが複合的に重なり合った結果、貧困と呼べる状況に至ってしまう、とのこと。また、貧困が結婚を難しくし、離婚をもたらしたり、逆に単身者は割高な住宅費を負担しなければならないために貧困になりやすいなど、複雑にこれらの要素が絡み合っていることの指摘は納得のゆくものだ。お金がなければ人づき合いもしづらくなり、ますます独身でいる状態が続きやすくなる。独身は優雅な生活を送っているのだから貧困とは関係ない、という物言いがいかに一面的かを指摘した点は見逃されるべきではなかろう。
格差論がうるさい時代において、実際にどうすれば、という点について、貧困という昔から存在する問題から迫った一冊。終わりに述べられる著者の少し強めの結論を、自己責任を声高に叫ぶ人ほど考えてみる必要があるだろう。地味だがなかなか面白いし説得力がある、もっと読まれるべき本である。

…一部のホームレスの人々が自立支援センターに近寄らないのは,そこでの「自立」が不安定なものであることを見抜いてしまったからだ。個人の無責任を非難したり「教育」する前に、「あってはならない状態」を社会が明確にし、その解決への道筋を明確にすることが、福祉国家や社会に対する人々の信頼を回復させることにつながるのではないか。そして、個人の責務や意欲は、この信頼の中でこそ育っていくのだと思う。(p212)