保阪正康「“敗戦”と日本人 (ちくま文庫)」

敗戦時にその職にあった軍人、政治家、在野の文学者。こうした人びとが、どのように敗戦を見つめていたのか、日記などの資料から読み解いていく。

もちろん、人は自分に都合のいいことしか書かないようにするものだ。
敗戦時の彼らもまた、自分に降りかかる責任はなるべくなかったことにしたいだろうし、みっともない、後で非難されるような事は書きたくないだろう。
…にもかかわらず、自分の置かれた立場に関係なく率直に後世のために自分の思いを書き残した人がいた。その時代や、その立場によって「敗戦」への認識のしかたや時代への向かい方は違ったろうけれども、それをふくめて、見えてくるそのときの人々の思いがある。

敗戦のその瞬間まで勝利を信じていた軍人をバカだと笑うことなんてできない。どの資料も、そのときの人びとの思いと時代を伝えていてくれる。

それでもやはり読み終わって心に残るのは、「いかに戦争を終わらせることが大変だったか」ということだった。戦争を本土決戦をしてでも続けたい軍人、立場上おおっぴらには自分の意見を表明できない天皇。しかしながら、その意を密かに受けて戦争終結に動く当時の鈴木首相を支えた二人の人物、迫水書記官長と東郷外相の回顧録が心に迫る。
誰もがリーダーシップを取れず、ずるずると戦争を続け原爆投下まで招いた状況において、クーデターなどの危険もわかりながらも確固たる信念を持って終戦へと導いた3人の芝居上手と冷静さ、真面目さは、軍人や一閣僚らの回想と合わせて読むと、いっそうきわだつものがある。
そして、「戦争を自力で止められる状態にないことを皮肉っているよう」に日記を綴る作家高見順。事態の内部にいてその思いを書き綴った軍人や政治家と、全くの外部から戦争の行く末を日本人として冷静に見ていた作家。どちらも、自分なりに自分の祖国を愛していたに違いはないのだが、その表出される気持ちの違いが我々に考えさせることは大きい。
必読の「「特攻」と日本人 (講談社現代新書)」をものした保阪氏が読み解く戦時資料。