「桐島、部活やめるってよ(DVD2枚組)」

面白いという話を目にしながら、日々の忙しさに追われ見ないでいる…そんな映画はいくらでもある。今回は、日ごろからそのセンスと考え方を尊敬している後輩に勧められ、「よしっ」と思い見てみた。

ある高校の、たった何日かの出来事と人間関係を描いただけの、ただそれだけのお話しなのだが…いや、これは面白い。

高校生の友だちどうしは、どういうものだったろうか。仲良くしているように見えて、お互い心の奥底では信頼していない、というのは、思いかえしてみれば、とてもよくある。寂しいだけだったかもしれないし、自分の自尊心(友だちがいないと寂しいと思われる)を満たしたいだけだったかもしれない。この映画では、そういう、本心ではなんか嫌だと思っているけど仲良く見える、みたいな人間関係がとても良く出てくる。

一方で、この映画のラストシーンでも少しは垣間見えるように、ほんとうは、遠い存在だと思っている人とも、理解し合えるもの、共感し合えるものがあるかもしれないのに、属する部活だとか人間関係によって、その可能性は限りなく閉ざされているのもまた事実だ。部活の補欠同士の感情だとか、実のところは、ひっそりとした共感関係みたいなものがあちこちで成立しているだろうけど、互いにそれを打ち明けられたりすることはほとんどない。みんな、恋愛だとか、自分の能力についてだとか、一生懸命な部活についてだとか、そういう、自分のことでせいいっぱいなのだ。同時に、本当はすこしどこか共感していても、自分の近くない関係の人と話したりするのは、どこか自分の評判を落とす感じがして、嫌だ、みたいなものもある(この映画での、映画部部長と「カスミ」の関係はまさにそうだ)。
つまり、近い人とはほんとうは分かり合えていなくて、遠い人とは分かり合っていることを確認する機会がない。

そんな、高校時代。すごーく、よくわかる。でもきっとそれは僕が主人公の映画部の部長のように蔑まれてきた文科系だったからだけではない。この映画は、終わってみれば、文科系の人も、部活の補欠だった人も、それなりに才能があって何でもできた人も、恋人とうまくいっていた人もいない人も、いろんな人が共感し得るようになっている。みんな同じように、分かり合えない虚ろさのようなものがあり、それでも熱中しているものがある。それを、誰かと理解し合えることは、高校時代には、ないかもしれないのだ。

そこから出て年齢を重ねたら話して分かり合えるかもしれない人と、これほどまでにすれ違い互いにどこか誤解し合ってしまうかなしさ。そして、どこかで通じ合えた時の嬉しさ。虚しさと希望といえばいいのか。よし、どこかで通じ合える可能性を信じて、自分のことに精一杯生きてやろうか、という気持ちになれるのは、幸せなことに、そういう未来があることを既に僕が知っているからだろう。
でも、そういうことがあることを信じられない、わからない人がいるのもよくわかる。登場人物の誰かに共感してみるだけだと、この映画の面白さは、だいぶ変わってくるだろうし。そういう意味でも、この映画は、全ての人に分かってもらえるようには作っていないし、だからこそメッセージは逆にすごく正直で、希望にあふれているなぁと感じられた。