藤堂具紀「最新型ウイルスでがんを滅ぼす (文春新書)」

著者は東大医科学研究所の研究者。この本で焦点を当てられているのは「難治がん」と呼ばれる悪性脳腫瘍などのがんである。なかでもグリオーマと呼ばれる脳腫瘍の四分の一を占めるタイプの腫瘍は、『周囲の脳に浸み込むように広がっていき、正常な脳との境界がはっきりしないため、手術ですべて取り除くことが不可能(p47)』であり、現在の医療では100%治らないそうだ。

そんながんを治療する光明とも言えるのが、著者が研究しているウイルス療法である。多くの人が自然にもっている、口内炎、すなわち口唇ヘルペスなどを引き起こす「単純ヘルペスウイルスI型」(herpes simplex virus type I)と呼ばれる種類のウイルスを用いる。
(ちなみにこの本では、ヘルペスウイルスには主に3種類…上のI型と、性器ヘルペスの原因となるII型、水痘・帯状疱疹ウイルス、からなることも混乱しないように説明してくれている)
このウイルスの80以上の遺伝子のうち、たった3個の遺伝子を操作したものが「G47∆」であるというのだから驚きだ。勉強のために少し詳しめに調べたことも含めて書いておく。

1つは、アポトーシス抑制遺伝子γ34.5。これが働かないと正常細胞でアポトーシスが起こるようになり、ウイルスは増殖できなくなる。しかしがん細胞はそもそもアポトーシスを起こさないので、増えられる、というもので、この遺伝子の破壊は、がん細胞特異的な増殖に寄与する。
2つめは、ribonucleotide reducaseの大サブユニットであるICP6。これはウイルスの増殖に直接関与するが、がん細胞ではこの酵素は増殖に必要ないらしい。この遺伝子の破壊も、がん細胞特異的な増殖に寄与する。
ここまででも、十分がん治療には役に立つウイルスに変えられるようで、実際にアメリカでは臨床実験にも使われて成果をあげている。これをさらに強力に、今度はがんに対する効果を高めるために著者が直接研究に関わってきた遺伝子が、α47である。α47は感染細胞のMHC classIの発現抑制に関与し、これが破壊されたウイルスが感染した細胞は、免疫により攻撃を受けやすくなるというものらしい。
こういった概要を知るだけでも十分面白いし、ウイルスをやっているものとして勉強になるのだが、この本は開発までの道のりや苦労も存分に語られており、それがまたおもしろい。
例えば、既に臨床試験に入っていた前バージョンのがん治療ウイルスの研究を行っているうちに発見した、免疫を刺激する治療を組み合わせるとウイルス療法の効果が向上するという研究成果が、α47の発見に結びついたことなどは、とても示唆に富む。既に開発されたものをきちんと調べていくことで、わかることがある。そこから新しいものが生まれることがある。真に新しいものを発見するだけが大事な研究ではないのである。
同じ箇所では、α47の研究をしたいと思い立った著者が、「α47の効果を証明する方法がない」と主張するボスを一年がかりで納得させるまでの一部始終も語られており、これも研究者としてはとても興味深く読んだ。そのきっかけになったのは、少し分野の離れた論文報告。幅広く勉強しておくことの大事さがあらためて身にしみて感じられる。
他にも、特許を巡る面倒くささ、留学先から日本に帰ってくるにあたって生じた不都合など、どれも実感のこもった、書いておくべき証言の数々には興味を引かれた。

がんの治療に興味を持つ人にも勉強になるとは思うが、それよりも生命科学の研究者に是非読んでほしい一冊。