羽生善治「直感力 (PHP新書)」

何やらアマゾンのレビューにそんなことが書いてあった気がするが、これは、研究者にとっては、かなりすごい本である。

いろいろな言い方があると思うが、この本に結びつく形で書けば、自然科学の研究とは、自然界の法則を探る営みである。こういう結果が出たらきれいだな、自然界的にはこうなっているのではないかなと思って実験をしてみても、それが外れていることは日常茶飯事だ。そういう、最初はバラバラな結果でも、一つ一つの実験の条件を整えていくことで、毎回同じような結果が出るような、自然界の法則に沿った形に手懐けていく。その積み重ねで、だんだん大きな法則が明らかになっていく。その際に、どういう実験操作、どういう条件がうまく行かない(自然と合っていない、結果がばらつく)理由なのかを論理的に考えながら進めていく。
こういう過程は、確かに論理的なものなのだが、それだけとも言い切れないところがある。実験者が全く気づかないような条件が、自然と合わない結果をもたらす原因だったりする。なるべく試行錯誤を少なくするように、ピタリと自然に求められる条件を思いつける能力というのがある気がするが、これはある意味研究者の直感と言えると思う。

こういう、研究者に重要な直感は、この本で著者が述べる、将棋の勝利に必要な直感と極めてよく似ている。過去の知見とその研究がモノをいうこと、しかし試行錯誤と実戦経験がある程度必要なこと、もちろん論理性も大きな部分を占めること、などが特にそうだ。
前の本(「決断力」)で、羽生さんは「自分の得意な型に逃げずにオールラウンドでありたい」と書かれている。この本では違った表現で『直感を磨くには多様な価値観をもつこと』と書かれている。どちらも志向するところは似ている。
研究者でも、修業時代から用いてきた得意な型を何度も繰り返し使って結果を出していく人は多い。それは気持ち的にも、時間的にも余裕が出るし、既に知られている手法、分野であれば論文も出やすい。継続性を大事にして、少しずつ進歩していく。そういうやりかたが普通である。おそらく、それは将棋界でも同じで、ある程度得意な戦法を持ち、それにこだわっていく方が、直近の生き残り策としては正しいのだろう。
著者のやりかたには、第一人者の余裕もあるとは思うが、もっと長い視点がある。いろいろな戦法、自分の不得意なことへの挑戦、日常生活の豊かさ、相手との盤上のやりとり…さまざまなものをすべて自分の成長へ生かして、新たな世界を拓こうとしている。効率や利益を超えた、全人間的な成長を見据えて、長く最先端の場に立ち続けること。将棋の神様の知る真実に、同業の人たちと少しでも近づこうとすること。著者は、自分がそういう境地を目指していくことが、将棋界を活性化させる一番いい方法であることを、言葉には出さないがよくご存知なのだ。

もちろん、多くの人間には全人格的な成長を目指している暇などなかなかない。しかし果たして、新たな自然界の真実を解き明かしていくべき研究者は、それで良いのだろうか。直感力を磨いていくことは、生き残りのためだけでなく、新しい世界を拓いていくためになによりの力となる。羽生さんのありかたは、それを教えてくれているように思う。