中間真一・鷲尾梓「仕事と子育て 男たちのワークライフバランス (幻冬舎ルネッサンス新書)」

仕事と子育て、家庭とのバランスはいつまでも難しい課題だ。父親になった男たちが、どのようにその両立という難しいテーマと向き合っていくかに焦点をあててその実情と実際の声を拾い上げた一冊。
職場にも、身近にそういうことに苦労している人はいるだろうが、人はなかなか弱みを見せたがらないもの。もしくは、やはりバランスが取れずに今でも悪戦苦闘している人もいるだろう。どちらにせよ、現実として向き合っている人々にとって、落ち着いた気持ちで冷静なアドバイスをできるには少し時間がかかるものかもしれない。
そういう意味では、この本で紹介される本音、生の声はずいぶんと実感のある、参考になるものだ。男の育休に関して、『どれだけ育児が大変かということを、実感としてわかってくれているだけでも掬われる(p96)』からこそ、短期間でも嬉しいという妻の声。『夫婦で働いて、一緒に子育てをしているからこそ、わかり合えることもある(p132)』と、もはや普通になりつつある共働きをプラスに捉える声。加えて、『本当に子どもに手のかかる期間は、実は短い(p155)』からこそ、その時期だけでも、少し仕事から子育てに重心を移すのは悪くないのでは、という提言。
今でも、日本では、誰もがワークライフバランスの実現をもっと望むようになるには、まだまだ制度的にも心理的にも壁が多い。今のところは、一部の人が、思い切って一歩を踏み出して試行錯誤している状態だろう。この本でも書いているように、子育て支援といいながら、結局女性にばかり負担がかかる構造は、なんだかおかしい。
制度がすぐに変わらないとすれば、大事なのは現実としてそれを求める人の気持ちだろう。

結局、当事者にとって”得”にならない限り、少なくとも”損”になる不安を払拭できない限り、制度を積極的に利用しようという意識は湧きにくいだろうし、自らワークライフバランスを取ろうとも思えないだろう。国や企業の都合のためだけでは、個人のワークライフバランスはこれ以上進まないのだ。
もちろん、ここで言っている”得”とは、仕事上の得や収入面の得だけとは限らない。それと同等かそれ以上に、家族の幸せ、自分自身の幸せだって、大きな得なのだ。
だからこそ、
「自分たちの暮らしにとって、得になる大きなチャンスだ。少なくとも、損はしない」
そういう確信を持てるようにしなくてはならない。そうしてこそ、子育ての価値を自ら実感できるし、仕事上の不安も払拭できて、一歩踏み出そうという意識も育まれるのだから。(p186-187)

こう書かれているように、個人が子育てを一つのチャンスと思えるかどうかが出発点なのかもしれない。そう思える人が動く、そして、企業はそういう人が損にならないように助けていく。個人的には、ここで損得を出さざるを得ないところが少々息苦しいが、多くの人がそれで判断するからこそ子どもの数は減っているし、ワークライフバランスも進まないのだろう。

もちろん、子育てをチャンスと思わない人の存在も認めるべきで、必ずしも子育てを全面的に善とすればいいとは思わない。さすがに職場において、子育てだから、という気持ちを全面的に押し出されると、自分と家族の幸せしか今のところ目に入らないのだろうな、とうんざりしてしまう。必死でバランスを取ろうとしている人がいる一方で、気持ち的に罪悪感はあるのだろうが、どこかで無理はしなくていいか、という意識がある人が、「子育てという絶対正義」に乗っかるのは、ちょっと納得いかない。…周囲を見るに、どうしてもこの相互理解は完全にはいかない。

まだ考えがうまくまとまらないが、こう考えてみることにする。
仕事は、一生を賭ける価値があるくらいおもしろい(とぼくは思っている)。他の部分を少し犠牲にしてでもやる価値がある(とぼくは思っている)。しかし、そう思わない人もいるし、そういう気持ちには配慮すべきだ。
子育ても、ある一時期に没頭する価値があるくらいおもしろい(という言い方がいいのかはわからないが、ぼくはそう思っている)。仕事を犠牲にしてでもやる価値がある。しかし、そう思わない人もいるし、そういう気持ちにも配慮すべきだ。
たぶん普通は、どちらかの立場に立って自分を保つのでいっぱいいっぱいだ。それはしょうがない。一方で、何とかうまくできる人は、どちらの立場にも立って、お互いの理解に努められればもっといいと思う。