城山三郎「粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯 (文春文庫)」

自分の中に変わらぬ尺度をもち、筋を通すことを何より重んじる戦前の商社マン、後の国鉄総裁の主人公。その仕事に生きた男のかっこよさが、城山三郎らしいビジネスの現場の空気感とともに描かれる。
戦前に特に留学もせず、伊豆の自然いっぱいの過程に生まれた人間が、国際的に張り合えるようなスケールの大きな生き方に達したことに驚かれる。キリスト教的教育をうけたことも、商社時代にアメリカで長く働いていたこともあるだろうが、仕事が人を育てるというのは実に大きいのだと感じさせられる。

国会議員や自分より偉い人に対しても、外国の人に対しても、決してこびない。低姿勢にならない。そういう生き方はかっこいいが、それだけではだめだろう。率直さ、自分を卑下しない態度は、「パブリックサービス」の意識、他人への奉仕精神とセットになって、はじめて説得力を増す。
商社でたっぷりとビジネスをした後に国鉄総裁として仕事をはじめた主人公が語る、「正義の精神」「欲得なくサービス・アンド・サクリファイスでやるつもり(p19)」というスタンス。率直さは商社時代からだったろうが、人を動かし感動させるのは、奉仕精神・ある程度の自己犠牲の精神があっての、率直に社会を良くしたいという心からの訴えだ。
私心のなさ、だけでは弱い。腹にためない率直さもそのままではダメだ。この主人公は、組織だけでなく社会を見てよりいい仕事をしようとする考え方を率直に出していくとともに、他人の忠告が正しいと思えば「あ、そうか、やめよう」とすぐに受け入れる素直さがある。私心のなさと率直さ・素直さの両方がうまく噛み合い、仕事を前に進められる判断力を持つ人間なら、第一印象がどぎつくてよくなくても、そのうち受け入れられることができる。

しかしこれを全部身につけるのは並大抵ではない。実際のところ、私心のなさ、は仕事で自信がつかないと出てこないところがあるように思う。若い頃に他人とぶつかりやすくうまくいかないのは、たいていの場合先立つ自信がないからだと思われる。
著者の描く、そういうところを乗り越えたような仕事をしている人間は、実に魅力的だ。そこに達するのが大変だろうなという人間性と、世の中を少しずつでも良くしていきたいという心持ち。すべては無理でも、近づきたいと思うところから何かが変わっていくかもしれない。
友人関係の闊達さと広さ、後輩や部下とのつき合い方など、主人公の人間的魅力が良く伝わってきて、短くて読みやすいがとても中身の濃い一冊。