中尾佐助「花と木の文化史 (岩波新書)」

この著者と言えば「栽培植物と農耕の起源」という本が有名だが、この本ももっと注目されても良い。そのくらい、実に面白い。
穀物をはじめとする有用栽培植物について語った「栽培植物と農耕の起源」から水平展開するかたちで、この本では花卉園芸植物について、その世界的分布・発達と伝搬を語る。

誰の講義だったか、植物を専門とする先生が、その師匠から聞いた話として、中尾佐助について話していたときがあった。この著名な植物学者の口から、ほんとかいな、と思うような言い方でぱっと語られる、「この現象は実はこういうことが裏にあるのではないか」というような、物事の裏にある事情を言い当てる勘というか直観がすごかった、らしい。
そういう直観力はこの本でも十分すぎるほど発揮されている。文化と植物の関わりを、植物の側からだけでなく文化的な側面にも注目しながら語っていくが、そこには、著者自身が世界を歩いた経験と、本などから得た直観がこれ以上ない形で組み合わさっている。

家の境界のない遊牧民のテント、広場のような共有地を囲む家、がっちり囲われた中国型、庶民でも広い庭が自宅の範囲に確保された日本型…住居の形態が庭の広さを規定し、それが花き園芸文化の発展の度合いを決めた、と著者は主張する。この、花卉園芸文化について世界の地域でカテゴリー分けする著者特有のやりかたなども、特に十分な根拠があるわけではないのだろうが、納得させられ、世界を直観するうえでいい枠組みを与えてくれるものだ。

また著者は、花卉園芸文化は、高度な文明であっても必ずしも発達したわけではないと述べる。しかも、ほとんどの文明において、あったとしても、それは上流階級のものであり、庶民のものではなかった。
例外が、ここにある。日本である。
さすがに、日本の花の歴史について述べる章はクライマックスにふさわしい面白さ。万葉集は、聖書や同時代の漢詩集に比べて、実用的でない植物が多彩に登場しているという指摘からしてなるほど、である。国語の授業で花を摘む和歌が出てくる万葉集を読みながらそこに不自然さを感じなかったが、よく考えてみるとこれは世界的には、普通のことではないようだ。世界の園芸植物について広く見渡して、ようやくわかる日本の園芸文化の特異性。

さまざまな仮説を考える。枠組みをつくる。そこから外れた興味深いものに目をつける。そのような状況になるに至ったストーリーを考えていく。研究を展開させていくうえでのアイディアの源泉のようなものを、この人の本には見ることができる。実際、この本で著者が「私はこれは不思議だと思う」「ここに研究の萌芽がありそうだ」と書いてあることは、誰か研究したら絶対面白いな、というようなアイディアばかりだ。

いやはや、実におもしろい。中尾佐助という人のすごさを、つくづく感じさせられる一冊である。