長沼毅「形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか (新潮選書)」

辺境生物探訪記』がとても面白かった著者が、動物の骨格、口、植物の葉のでかた…さまざまな「カタチ」について、妄想しつつ、調べつつ、思考を広げていく刺激的な一冊。
仮面ライダーとエイリアンの顔から、節足動物の口の話へ。天使の翼から、昆虫の翅の話へ。妄想とも言えるような話題から、現に生きている生物の形態の話へと入っていく。こうした話の展開は突飛なように見えるが、仮面ライダーやらなにやらを創造(想像?)した人間のカタチに関する捉え方がよくわかるような、ハッとさせてくれるものがある。

博覧強記という言い方がある。そういう人が、こういう本を書くことはあるだろう。しかしこの本は違う。知識が前からあったのではなく、生物学者としての勘と感覚をフルに働かせ、調べながら、発見しながら、「カタチ」の奥底にある数学や哲学に分け入っていく。「数学は苦手」と述べる著者は、数学の理解のしかたも一歩ずつ、難しいところはざっくりと、進んでくれる。だからこそ読者も一緒に考えていける(著者についていくのは大変だが)。この感じが、とても好きだ。

カタチを作るルールがあるのだ、というところから話はぐいぐいと数学的なところに入っていく。どこに連れて行かれるのだろうと思いながらも、見ているところは「カタチ」であり、その軸はぶれない。
この話の流れから達する結論は、なるほどとうなずけるものだ。
構造主義生物学とは、生物の進化に「生成文法」的なもの、つまり普遍的なものから新たな個別のものを生み出すルールのようなもの、を想定しているのだ、という解釈は、とてもわかりやすかった。葉序やオウムガイの貝殻の巻き方を決めている数列の話しから、アートや言語の話を介してまた生物学に戻ってくる。この振れ幅の楽しさ!

数学的な話題だけではなく、最新の生物学の知見からわかる形態の進化に関する話は、言わずもがなの面白さ。最新の話の一方で、考える基礎には、昔から疑問に思われてきたような素朴な部分がある。「解剖男」遠藤先生ももちろん登場するし、以前に読んだ「カメのきた道」の続きのような話もあって、この手の話に興味があった読者にしっかり応えてくれる。

それにしても、こうした「カタチ」に関する素朴な疑問・長く考えられてくるような重要な疑問に関しては、やはりゲーテが登場してくる。ゲーテの「カタチ」に関するこだわりようと、先見の明はこの本でもとことん感じさせられる。
古くからの問いを知り、改めて考えることで、新しい問いが浮かび上がってくる。そんな、歴史と最先端が混じり合ってくるような、生物の形態論。