坪内稔典「正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)」

あれは大学の院かなにかの入学式だったか卒業式だったか。文学評論などで有名な前の学長がゲストとして祝辞を述べた。相も変わらず面白い脱線に富んだその話の中で彼は、正岡子規について考えてみるべきだ、みたいなことを口にした。それを、今でも覚えている。

調べてみると、見つかった。簡単にまとめると、彼の問いかけは、以下のようなものだ。

日本語も良く理解する教養豊かな韓国の知人から質問があった。彼は、正岡子規の『歌よみに与ふる書』を読んで、なぜ子規が、日本文化の色が濃い『古今集』を批判し、大陸的な雰囲気がある『万葉集』を大事だと言っているのかを不思議に思っている。あなたがたならどう答えるか。

ずっと前の一人の先生のふとした言葉が、この本を手に取った動機の一つである。そして、上の言葉への答えを、著者と一緒に考えていけるのがこの本だ。これを読んだ今なら、子規が『万葉集』を大事だと言い、そのエッセンスを俳句・短歌・文章に生かしたことこそ、まさに彼の創造性の発揮である、と答えてみたい。

子規の言葉を引用し、それを読みつつ、彼の生涯と彼の思想を追っていく。少年時代、学生時代から、34歳でその短い生涯を終えるまで、子規は常に何かを書いていた。与謝蕪村万葉集を再評価し、短歌に革新を起こした彼は、死ぬまで言葉にこだわり、滑稽さを常に失わずに自分を客観視しつづけた。そんな子規の人生が、彼の言葉を通して勢いよく読むものに迫ってくる。

読んでいて真新しく感じたのは、上にも少し書いたが、子規のオリジナリティというか、創造性だ。人とは違う視点から、旧来からあるものを見てみる。そして、自分なりの色をつけて表現していく。そういう、アーティスト・研究者のような創造性を何よりも重んじていた人なのだなと思った。

いつ、自分の寿命がつきるかはだれにもわからない。人生に限りがあることを自覚しつつ、どこで自分のオリジナリティを発揮しようかと考えていかないといけないな、と子規は改めて考えさせてくれた。