ヴィクトルユーゴー「レ・ミゼラブル〈1〉 (岩波文庫)」

…地上に無知と悲惨とがある間は、本書のごとき性質の書物も、おそらく無益ではないだろう。(p21:「序」より)

このユーゴーの序文の意味が、読みすすむにつれてだんだんと沁みてくる。

この本に出てくる貧しき人々は、男も女も、自らの窮状を切々と語る。犯罪に手を染めたとして、糾弾されつつ、それより自分のことを聞いてくれ、となんとか語る。しかし、それを信じて耳を貸す人はめったにいない。救いはないのだろうか?ありうるとすれば、そういう悲惨さを知っている人間のみなのではないか?

貧しいから、犯罪を犯していい、ということはない。しかし、貧しき人々、悲惨な境遇におかれている人々の窮状から目を背けながら、牢屋にぶち込もうとするのは、きっとフランス革命の時代から変わらない、安全圏にいる人間のやりかたなのだ。読んでいて身につまされるのは、今だって、この本に書いてあるような風景が繰り広げられる場がけっこうあるように思うからだ。

安全圏にいられれば、自分が落ちることがないと思えば、人は安心して他人の境遇から目を背けていられる。自分が落ちる覚悟をしてまで、行動でもって他人の境遇を改善しようとするのは、とてもむずかしい。

貧しい境遇で犯罪に手を染め、結果として刑務所で長い間過ごしたジャン・ヴァルジャン。彼は、盗みに入った教会で神父と知り合い、自分を変えようと決心する。そこに至るまでの主人公の心理描写。その後の彼の心の動き。わかりやすいストーリーながらも、読ませどころ、考えさせるところがたっぷりで、さすがに、時を忘れさせられる。

ワーテルローの戦場での一幕で締めくくられる第一巻。続きが楽しみだ。