金森修「ゴーレムの生命論 (平凡社新書)」

ユダヤ教の伝説に出てくる人造生命「ゴーレム」。なんとなく名前くらいは聞いたことがあって、それなりにイメージもあるこの「化け物」。ユダヤ教の偉い人物であるラビが土から作り出したこの、生命とも生命でないともいえるようなものに関する伝説やそれを取り上げた物語を縦軸にして、人間と人間でないもの、生命と生命でないものの境目について考えていくこの本。

いろいろな読み方があり、人により楽しみ方がある。おもしろい本だ。

読む前の印象は、生物学が進展することでますます問われることになる生命倫理についてじっくり語っていく本なのかな、ということだ。著者が、科学思想などについての本を書いていることは知っていたので、そのイメージがあった。

しかし、読んでみると、ゴーレムやそれが誕生した経緯、さらにはその誕生に深く関わるユダヤ教の思想について、細かい部分まで語られていて、宗教史について学びつつ、物語を読んでいるような没頭感が得られた。ユダヤ人を守るものとして作られたゴーレムとその物語をたどっていくだけでも面白い。プラハの街を舞台にした神秘的なゴーレムの伝説に、ゲーテの「ファウスト」が絡んできたり。ゴーレムのもつ不完全な人間、というイメージからつながってくる、サマセット・モームの小説や映画「エイリアン」に出てくる「出来損ないの生物」というモチーフ。
一方で、生命科学の世界では、出来損ないの生物は日常のものとして既にある。生命を構成する部品の一部が壊れたミュータント、生物間の雑種であるキメラ、さらにはそうした生物の形さえも持たない幹細胞まで。こうした概念から、出来損ないのゴーレムまではそれほど距離はないのかもしれないという考えも、確かにありうる。

人間・生命の境界とは。それが曖昧になってきている現状を考えるには、どのような視点が必要なのか。簡潔な結論を著者は出さないが、ユダヤ教の話から入ってきてさまざまな怪物、人間未満の人間について考えるこの本を読み終わるとき、『生物でも生命でもない、命への問いかけ――それは最終的には宗教的なものであらざるをえない、と私は思うからだ。(p206)』という考えに、素直にうなずける自分がいた。
映画や小説、いろいろな物語について、また新たな視点で見ることができるような契機をくれる、実に刺激的な一冊。